2015年8月15日土曜日

鉄器文化の実在

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 ≪鉄器文化の実在≫

 神武天皇庚申年のところに

 「事代主神が<三島溝蹶(みぞくい)耳神>の娘・<玉櫛媛>と

  結婚して生んだ娘・<媛蹈鞴五十鈴媛命>を

  神武天皇が正妃に迎えた」とある。

 『古事記』は

  <勢夜陀多良比売>・<富登多多良伊須須岐比売>・

  <比売多多良伊須気余理比売>と

 蹈鞴がタタラであることを証言している。

 当時最高の文化であった<タタラ>は

 今の先端工業に当たるもので、

 それを名乗りにもつお姫様は

 大変な高貴な存在だったのである。

 私たちは神武天皇のモデルが複数で、

 垂仁天皇の事跡が混じっているのを知っている。
 
 垂仁は卑弥呼政権を倒して倭人の新支配者になり、

 壹與を女王に大隅に邪馬壹国をたてて首都にした実在者だ。

 当時の文化は『魏書倭人章』に詳しく記録されている。

 それで確かめてみると、

 <3世紀の倭人の武器>は、

 *「竹箭 或いは鉄鏃或いは骨鏃」と書いてあるから、

   竹製の矢に鉄の鏃・やじり=矢尻や骨の鏃をつけて使い、

   石鏃は使っていない。

   また卑弥呼が受けとった帝の贈物に

   <五尺刀が2口(ふり)>ある。

   五尺もあると、柔らかい銅では曲がって使い物にならない。

   五尺刀が鉄製なのは常識だ。

 また薩摩半島の南端・<山川町の成川遺跡からは

 当時の五尺刀が数も同じ2口出土>している。
 
 鹿児島県下からは他にも弥生・古墳時代の鉄製品の出土が多く、

 その中には世界でただ1個しか見つかっていない

 「方位を示す紐(ちう)のある鉄製三角縁神獣鏡」があり、

 私(加治木義博)が所蔵している。

 神武天皇の正妃・媛蹈鞴五十鈴媛は

 垂仁天皇の皇后でなければならない。

 垂仁天皇の始めの皇后は、

 あの<悲劇の狭穂姫>で、

 <誉津別皇子>を残して死んだから、

 その後で皇妃になった丹波の道主の5人の娘の一人である。

 すでによくご承知の通り、

 狭穂姫の<狭>は<アイヌ語のタンネ>で<種子島>である。

 <穂>は豊玉の<豊>で、

 やはり<種子島の古名の1つ>だし、

 丹波の道主のタニバは

 <種子国=タネマの沖縄発音・タニバ>である。

 種子島は戦後、

 アメリカへ宇宙機用のチタン原料として、

 大量の砂鉄を輸出し続けたように、

 世界でも最高級の品質をもつ砂鉄の希に見るこ大産地であり、

 古代種子島の坂井人が大阪府の堺を造って、

 戦国時代に種子島銃の独占産地になった史実が

 物語るように、

 古代から近世に至る

 我が国鉄器産業の最大の中心地を

 形成して行ったのである。

 種子島がタタラ技術の先進地であり、

 タタラが国富と文明を象徴する

 トップ産業だったことを見逃してはならない。

 するとそれを名にもつ「タタラ姫」は、

 夜も輝くような美と富の姫という

 赫夜姫の名が同じ島で生まれたのと同じで、

 必然的であるし、

 またその富と武力が、

 天皇家とその一族の「橘=種子島人(タチバナ)」政権を

 東征させ、

 倭人圏を本州・四国に拡大させたのであり、

 「古代淡路島(タンジシマ)=種子島(タンジシマ)」

 を拠点に一気に奈良に大和朝廷を

 定着させたのであることが、

 はっきり組織立って、

 立体的に理解できるのである。

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学院講義録30:26~27頁」

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