2015年8月10日月曜日

スメル(シュメル)・インダス・殷・稲敷

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 スメル(シュメル)・インダス・殷・稲敷
 スメル(シュメル)・インダス・殷・稲敷

 ≪スメル(シュメル)・インダス・殷・稲敷≫

 スメルの都市国家時代は

 B.C.E.2350年ごろ

 ジェムデト・ナスル期まで続いたが、

 サルゴンの率いるアッカド人に敗北して

 アッカド王朝時代に変わり、

 サルゴンの曾孫・ナラム・シンは

 神名のシンを名乗って自分を現人神に譬えた。

 しかし圧制に反発して

 ウルクやキシュの市民が反乱を起こしたので、

 ザグロス山脈からグデイ人が雪崩れこんで、

 アッカド王朝は崩壊し、

 グデイ人支配が90年続いたが、

 それを倒したのは、

 ウルクのウトゥヘガルで、

 メソポタミヤを再びスメル人の手に取り戻した。
 
 これが新スメル時代で、

 B.C.E.2112年にはウルナンムが王朝を樹てた。

 それが栄えた

 B.C.E.2060年以後をウル第3王朝と呼ぶ。

 インダスのほうは

 B.C.E.3500年のスメル支配以後に

 インダス流域に植民し始めて、アムリ文化を生み、

 インダス文明を発達させて、

 B.C.E.1400年ごろまで続いたあと、

 衰微してしまったが、

 その時期がピッタリ、殷の登場期に当たる。

 縄文時代後期である。

 茨城県稲敷郡に移住した歴史的瞬間も

 この前だったことは明らかである。

 遺物から、当時の信仰が、やはり水神だったことは、

 器の神象が「竜」を意味していることで明らかである。

 そして稲敷は「水郷・茨城県霞ヶ浦」の奥、

 ウバイドそっくりの環境に位置している。

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学院講義録31:27頁」

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