2012年2月24日金曜日

マレー語に関する章(9)



 《マレー語人居住の立証

 これだけでは合理的な説明がついたというだけで、

 マレー語が借用語でないという確証があったわけではない。

 言葉だけが輸入された漢語と比較してみて、

 言語以外の何かが、どの程度存在するか、

 それはマレー語人が移住してこなくても、

 言語のように輸入文明として入ってくることができたか、

 調べてみる必要がある。

 まず頭に浮ぶのは稲作の共通性である。

 しかし、これは一と握りの種子をもった一人の農業技術者が渡ってくれば、

 それで充分はじめとすることができるから、何のきめ手にもなりはしない。

 インドネシア各地では、我国のものと全く同型の「虫やらい」行事が見られる。

 しかしこれも一人の農業技術者が教えれば、それは幾らでもひろがる。

 こうした移入時代不明の習俗や行事などを、余り重視しすぎると、

 正しい答えは見失なわれてしまうのである。

 現在、我国に大量のキリスト教徒がおり信仰習慣が厳守されているからといって、

 それをヘブライ族との混血に結びつけるのは無茶なのと同じく、

 古代習俗であるからといって、血統証明になるわけではない。

 それらは幾らでも借用され、輸入されて、

 血液とは何の関係もなく民族を覆うからである。

 土俗や民族、宗教といった学問にたずさわる方々は、

 その学問内容の二次的性格を充分認識していなければならない。

 借用漢語の場合、それは先進文明をとりいれる必要上、

 もっとも便利であるから、

 言語と文明が抱き合わせになってはいってきたのである。

 これは現在の欧米語と欧米文明とが抱き合わせで

 はいって来た状態と全く同一の現象である。

 マレー語が大量に借用語としてはいって来たものなら、

 それは必らず<より高度の文明>と共にはいってきたはずである。

 借用語かどうかのきめ手は実にこの点にかかっているのであって、

 文明ぬきでより低いものの言語だけを借用するということはあり得ない。

 文明が欠けていれば、それは借用ではなく、

 言語をもった民族そのものが移動したことを証明するのである。

 それは同時に時代の証明にもなる。

 現在までの私達の考古学知識で比較に便利な文明は、弥生期の建築である。

 これにはその時代の建築物図鑑が現存しているから、

 他のどんな史料にも勝るのである。

 奈良県北葛城郡河合村から出土した高名な家屋文鏡には当時の4種類の建築が、

 その様式と材料を充分に物語る精度で描写されている。

 これは静岡の登呂その他の弥生期住居址等と総合することによって、
 
 当時の建築がどんなものであったかを復原してみせてくれる。
 
 それらをみると、一般民衆の竪穴(たてあな)住居から柱をもった<平屋建築>、

 さらに高い床(ゆか)をもった<高倉らしいもの、

 その上にさらに柱をもった二階建建造物ともいうべき<宮殿>までが、

 同時に存在していたことを物語っている。

 高度のものと低度のものが共存するのは、現代でも同じであって、
 
 一方に西欧式ビルが立ならぶ大都会に、
 
 他方では江戸時代と余り変らぬ<瓦茸木造建築>が軒をつらねているのである。

 こうした建築技術もまたたしかに教育という手段によって、
 民族とは関係なく借用することができる。

 しかし、稲作の伝播の場合のように、一人だけ、というわけには行かない。

 なぜなら、これらの太柱を使用した建築は、金属製の道具を使用して穴をあけ、

 切りこみをして始めて組み立てることのできるもので、

 石器では容易に作ることのできない構造になっている。


 現在までの私達の考古学知識で比較に便利な文明は、弥生期の建築である。

 これにはその時代の建築物図鑑が現存しているから、他のどんな史料にも勝るのである。

 奈良県北葛城郡河合村から出土した高名な家屋文鏡には当時の4種類の建築が、

 その様式と材料を充分に物語る精度で描写されている。

 これは静岡の登呂その他の弥生期住居址等と総合することによって、
 
 当時の建築がどんなものであったかを復原してみせてくれる。
 
 それらをみると、一般民衆の竪穴(たてあな)住居から柱をもった<平屋建築>、

 さらに高い床(ゆか)をもった<高倉らしいもの、

 その上にさらに柱をもった二階建建造物ともいうべき<宮殿>までが、

 同時に存在していたことを物語っている。

 高度のものと低度のものが共存するのは、現代でも同じであって、
 
 一方に西欧式ビルが立ならぶ大都会に、
 
 他方では江戸時代と余り変らぬ<瓦茸木造建築>が軒をつらねているのである。

 こうした建築技術もまたたしかに教育という手段によって、

 民族とは関係なく借用することができる。

 しかし、稲作の伝播の場合のように、一人だけ、というわけには行かない。

 なぜなら、これらの太柱を使用した建築は、

 金属製の道具を使用して穴をあけ、

 切りこみをして始めて組み立てることのできるもので、

 石器では容易に作ることのできない構造になっている。
   言語復原史学会
  言語復原史学会

 『参照ブログ』
 古代メソポタミア
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 古代史ブログ講座
 歴史徒然
 ネット歴史塾
 オリエント歴史回廊(遷都)    
 古代史の画像 
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 ひねもす徒然なるままに  
 古代史つれづれ

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿