ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年2月17日金曜日
マレー語に関する章(2)
《単語比較の早わかり》
たとえ外来語であろうが借用語であろうが、捨ててはならないことは、お判り戴けたと思う。
では、その単語をどう処理するか。
先の本の著者は、単語の比較の方法として
『類似点が多いか少いか、大切な点が一致するかしないかを、まず形式的に比較する。
そして共通な単語を探し出す。
この比較にあたっては、心得なければならないことがある。
Aの言語とBの言語とで、
まったく同じ形をしているものだけが共通な単語だと思ってはならないことである。
例えば、ドイツ語で、名前のことをナーメという。
日本語では、関東で、名前をナメーということがある。
こういう共通の単語があるからドイツ語と日本語とはずっと昔に関係があった、
というようなことを考える人があるが、それはどうか。
そういう形と意味の似た単語は、何千という単語をつき合わせて行けば、
その中に、いくつかは数えられるに決まっている。
ごく普通に使われる単語だけで3000はあるのに、
音の数は現代日本語では100である。
偶然似た形の単語があるのほ無理もない。
英語で笑うことをラフという。
日本語では昔、ワラフといった。
これは共通な単語である、というのなども、誤りである。
勝手にワラフの<ワ>を取り去って比較してはならない。
そんなことをするのは、笑話には適当でも、
言語の系統の比較には、してはならないことである。
世間で行なわれている日本語の系統論の大部分は、こうした笑話のたぐいである。
単語の比較で大切なことは、同じ形をしているものを発見することではない。
音韻の対応を発見することである。』
これは原文のままである。
私達の名詞の比較の場合、AとBが、まったく同じ形をしているものはほとんどない。
違っている中に共通点を発見しなければならない。
だが、ナーメとナメーのように類似したものは、偶然だなどといって捨ててはならない。
「笑う」と「ラフ」くらい似ているものは必ず何らかの関係があると考えて、
勝手に偶然だなどと取りのけてはならない。
私たちが取りあつかっているものは実に様々に変型している。
そこには余分なものがくっついたり、大事なものが欠けたりしている。
それを取りのぞいたり埋めたりして復原するのである。
歴史というのは時間の経過に比例して、風化したり苔がついたりするのが当り前なのである。
① namae ナマエ 日本語
na ナ 日本語
② nirwm ニルム 古朝鮮語
(irwm) (イルム) (朝鮮語)
③ mim ミン 中国(北)語
④ mijo- ミョー 中国(南)語
⑤ nama ナマ マレー語(インドネシア)
⑥ nan ナン ビルマ語
⑦ na-ma ナーマ サンスクリット語
na-mna- ナームナー サンスクリット語
⑧ ma ナ パンジャブ語
⑨ anun アヌン アルメニア語
⑩ namo ナモ ゴート語
⑪ ο-νομα オノマ ギリシャ語
⑫ nomen ノメン ラテン語
⑬ nombre ノムブレ スペイン語
⑭ name ネーム 英語
⑮ na-me ナーメ ドイツ語
代表的なものをあげてある。
この他にも多数の同源語が分布している。(加治木原図)
それを、この言語学の方の常識?
に妨げられて逆のことをしては、
それこそ笑い話にもならないのである。
なおこれは余分なことかも知れないが、
この引例のナーメとナメーは、
日本のナマエを東端に朝鮮のイルム、マレーのナマ、ビルマ語のナソ、
サンスクリットのナーマ、アルメニアのアヌン、ゴートのナモ、
ラテンのノメン、スペイソのノムプレ、
イギリスのネーム等々々、
解き上げるのが、わずらわしい程の対応をもっており
、日本人とドイツ人はともかくとして、
日本語とドイツ語が、
共通の祖先をもっている部分があることが実証できる。
その類似は偶然などではなく、
研究すればするほど関係は深くなるばかりなのである。
これで学問の研究分野と研究法はお互いに助け合うことのできないものであることが、
お判りになったと思う。
私達は同じ言語に属する名詞を扱うからといって言語学をやっているわけではない。
それは同じ魚を使って
一人は刺身を造り、
一人は中華料理の揚げ物をつくり、
一人は煮魚、
一人は塩焼、
一人は洋風のバター焼きをつくる、といったようなものである。
めいめいが得意の腕をふるってこそ美味い料理ができるのであって、
一人が魚料理はオレにまかせろといって全部油で揚げては、どの料理も台なしになる。
学問も同じである。自分だけが専門家のつもりで、
ああしてはいけない、こうすべきだ、と、
他の分野に口出しをすることは、科学者のすることではない。
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