2012年2月17日金曜日

マレー語に関する章(2)



 《単語比較の早わかり

 たとえ外来語であろうが借用語であろうが、捨ててはならないことは、お判り戴けたと思う。

 では、その単語をどう処理するか。

 先の本の著者は、単語の比較の方法として

 『類似点が多いか少いか、大切な点が一致するかしないかを、まず形式的に比較する。

  そして共通な単語を探し出す。

  この比較にあたっては、心得なければならないことがある。

  Aの言語とBの言語とで、

  まったく同じ形をしているものだけが共通な単語だと思ってはならないことである。

  例えば、ドイツ語で、名前のことをナーメという。

  日本語では、関東で、名前をナメーということがある。

  こういう共通の単語があるからドイツ語と日本語とはずっと昔に関係があった、

  というようなことを考える人があるが、それはどうか。

  そういう形と意味の似た単語は、何千という単語をつき合わせて行けば、

  その中に、いくつかは数えられるに決まっている。

  ごく普通に使われる単語だけで3000はあるのに、

  音の数は現代日本語では100である。

  偶然似た形の単語があるのほ無理もない。

  英語で笑うことをラフという。

  日本語では昔、ワラフといった。

  これは共通な単語である、というのなども、誤りである。

  勝手にワラフの<ワ>を取り去って比較してはならない。

  そんなことをするのは、笑話には適当でも、

  言語の系統の比較には、してはならないことである。

  世間で行なわれている日本語の系統論の大部分は、こうした笑話のたぐいである。

  単語の比較で大切なことは、同じ形をしているものを発見することではない。

  音韻の対応を発見することである。』

 これは原文のままである。

 私達の名詞の比較の場合、AとBが、まったく同じ形をしているものはほとんどない。

 違っている中に共通点を発見しなければならない。

 だが、ナーメとナメーのように類似したものは、偶然だなどといって捨ててはならない。

 「笑う」と「ラフ」くらい似ているものは必ず何らかの関係があると考えて、

 勝手に偶然だなどと取りのけてはならない。

 私たちが取りあつかっているものは実に様々に変型している。

 そこには余分なものがくっついたり、大事なものが欠けたりしている。

 それを取りのぞいたり埋めたりして復原するのである。

 歴史というのは時間の経過に比例して、風化したり苔がついたりするのが当り前なのである。

 ① namae         ナマエ    日本語
   na          ナ      日本語

 ② nirwm        ニルム    古朝鮮語 
   (irwm)        (イルム)    (朝鮮語)

 ③ mim         ミン         中国(北)語

 ④ mijo-            ミョー    中国(南)語

 ⑤ nama         ナマ     マレー語(インドネシア)

 ⑥ nan         ナン      ビルマ語

  ⑦  na-ma            ナーマ    サンスクリット語
      na-mna-          ナームナー  サンスクリット語

 ⑧ ma          ナ      パンジャブ語

 ⑨ anun             アヌン    アルメニア語

 ⑩ namo             ナモ     ゴート語

 ⑪ ο-νομα     オノマ     ギリシャ語

 ⑫ nomen      ノメン    ラテン語

 ⑬ nombre      ノムブレ      スペイン語

 ⑭ name       ネーム    英語

 ⑮ na-me            ナーメ    ドイツ語

 代表的なものをあげてある。

 この他にも多数の同源語が分布している。(加治木原図)

 それを、この言語学の方の常識?

 に妨げられて逆のことをしては、

 それこそ笑い話にもならないのである。

 なおこれは余分なことかも知れないが、

 この引例のナーメとナメーは、

 日本のナマエを東端に朝鮮のイルム、マレーのナマ、ビルマ語のナソ、

 サンスクリットのナーマ、アルメニアのアヌン、ゴートのナモ、

 ラテンのノメン、スペイソのノムプレ、

 イギリスのネーム等々々、

 解き上げるのが、わずらわしい程の対応をもっており

、日本人とドイツ人はともかくとして、

 日本語とドイツ語が、

 共通の祖先をもっている部分があることが実証できる。

 その類似は偶然などではなく、

 研究すればするほど関係は深くなるばかりなのである。

 これで学問の研究分野と研究法はお互いに助け合うことのできないものであることが、

 お判りになったと思う。

 私達は同じ言語に属する名詞を扱うからといって言語学をやっているわけではない。

 それは同じ魚を使って

 一人は刺身を造り、

 一人は中華料理の揚げ物をつくり、

 一人は煮魚、

 一人は塩焼、

 一人は洋風のバター焼きをつくる、といったようなものである。

 めいめいが得意の腕をふるってこそ美味い料理ができるのであって、

 一人が魚料理はオレにまかせろといって全部油で揚げては、どの料理も台なしになる。

 学問も同じである。自分だけが専門家のつもりで、

 ああしてはいけない、こうすべきだ、と、

 他の分野に口出しをすることは、科学者のすることではない。

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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