2012年2月6日月曜日

万葉仮名(1)



 《万葉集
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 《「弥生人の仲間」歌垣(かがい)
 《「弥生人の仲間」歌垣(かがい)


 『風土記』や『万葉集』に

 古代日本の風習として歌垣の行事があった記録が残っている。

 いま西南中国から東南アジア一帯にかけて分布する山地民族の多くは、

 夜かがり火をたいて集まり、

 男女二組に分かれて歌と踊りの掛け合い合戦をやる。

 日本の歌垣もまたこうした行事であったろうと見られている。

 「写真」グエバ・アカの歌垣に集まった少女たち:タイ国東北部


 《焼酎と祭り:リオのカーニバル・タイ山地アカ族の歌垣(かがい)
 《焼酎と祭り:リオのカーニバル・タイ山地アカ族の歌垣(かがい)

 「リオのカーニバル

 鹿児島ハンヤ節は移民とともにブラジルへ行き、

 サンバやマンボを生み、

 世界的に有名なリオのカーニバルを生み出した。
            
 「タイ山地アカ族の歌垣(かがい)

 グエバ・アカ族(本文参照)の歌垣は

 風土記や万葉集に登場する日本の歌垣とまったく同じもの。

 ただ衣装は部族ごとに異なる。

 「写真」南米の夜に酔いしれる

 生きていた万葉弥生時代


 《焼酎文化史:さらに近いルーツを求めて
 《焼酎文化史:さらに近いルーツを求めて

 この地域が古くからの水稲栽培地帯であることはよく知られた事実である。

 このあたりから東南アジア一帯は米を蒸す道具、すなわちを古代からもっている。

 こう推理を進めてくると、焼酎は水稲文化とともに入ってきたもので、

 日本で発明されたものではなかったことが明確になる。

 渡来時期はいつか。

 それは甑が出土する最も古い年代だということになり、

 あとは比較文化史学者としての私の手から離れて、発掘考古学者の調査にまつほかない。

 ここで表題について誤解のないようにしておきたい。

 焼酎のルーツ探検とあるのとグエバ・アカ族を結びつけて、

 直ちにこの人々が日本に焼酎をもたらした民族であると受けとる方もありそうだからである。

 たしかにこの人々は古代日本人と多くの共通文化をもっている。

 酋長の家には千木(ちぎ)をつけ、鳥居の一種を作り、竹下駄(げた)を作り、

 ミネという名の80歳をすぎたお婆さんもいる。

 ことに風土記などで有名な嬥歌(かがひ)(歌垣(うたがき))は今

 も盆踊りなどに姿を変えて日本でも伝承されている。

 その古形のままを思わせるラン・サオ・コットと呼ばれる行事を、

 この人々に見て万葉の昔に遊ぶ想いに打たれたのも事実である。

 しかし、民族の共通を証明する文化は言語である。

 言語は集団になると強い保守性を発揮して容易に変えられないものになる。

 このことから民族分類の決め手として使われ、ルーツ探しの花形にもなる。

 「写真」グエバ・アカの鳥居

 数々の共通文化をもつにもかかわらず、アカ語は日本語の先祖ではない。

 一例をあげると

 「ノー(行く)アガ(何処)エー(え?)」

 「ジバ(焼酎)ドウム(飲む)ユー(に行く)」

 「ヨームー(良いな)」となる。

 「エー」と「え?」、

 「ユー」と「ゆく」、

 「ヨー」と「よい」といった同音がありながら、

 また「焼酎、飲む、に行く」と語順の一致もありながら、

 よく見ると、最初の疑問文は「行く、何処、え?」と独特の文法をもっている。

 また基礎語の一致も少ないので、

 たしかに我々と共通の祖先をもってはいるが、

 別れた時代ははるかに古く、約二千年前とは考えられない。

 アカ語は親族語ではあっても租語とはいえないのである。

 日本列島へ焼酎をもちこんだ人々はアカ族以外に求めなければならない。

 それがどういう民族であったかは言語学的には見当がついている。

 それはやはりタイ国で少数民族として扱われているカレン族で、

 ビルマには州を形成するほどの大族である。

 しかし言語学の成果をお話しするのには本書は不適当である。

 ここでは焼酎のルーツをついに彼方に望み見る。というところでお話を終わることにする。

 リズムの渡来

 リス族の楽曲は沖縄のものに近似しているが、

 沖縄のリズムは真っ直ぐ鹿児島に上陸している。

 鹿児島ハンヤ節はテンポの速さで異色の民謡であるが、

 原型は沖縄を経由してタイ奥地につながる。


 《焼酎文化史:蘭引
 《焼酎文化史:蘭引

 しかし、ここで従来いろいろな本に書かれた旧説の誤りを正しておかないと、

 筆者の説があまりにも荒唐(こうとう)にみえる人もあると思う。

 まず室町時代以後に、わが国に伝えられた蒸溜器の

 「蘭引(ラムビケ)」についての誤解から正して行こう。

 多くの人がそれをオランダ語に対する当て字だとしているのも間違いだが、

 英仏で使われているアラムピック(alambic)の語源、

 アラブ語のアル・インビク(al-inbiq)とするのもまた行きすぎである。

 それは慶長八年(1603)

 長崎のコレジオ(ポルトガル宣教師によるキリスト教の教会)で印刷された、

 日本語をポルトガル語で解説した辞典の『日葡辞書』に、

 はっきりとxochu(シォーチュウ)(焼酎)の名が挙げられており、

 それはurraca(ウッラカ=椰子焼酎)を造る

 xochu gixiqi(シォーチゥ・ゴシキ=焼酎甑)という

 Lambique(ラムピケ=ドーム型蒸溜器)で造った酒、と明記されている。

 蘭引という当て字をランビキと読むこと自体まちがいであって、

 その起こりは元禄のはじめに書かれた『本朝食鑑』(平野必大著)の、巻二、

 穀部にわざわざ万葉仮名ふうに「羅牟比岐(ラムビキ)」と当て字したりして、

 誤音を固定化してしまったことにある。

 「写真」日葡辞書の原文

 この点、『大言海』や『広辞苑』になると、

 はっきりポルトガル語であるとしているのは、

 さすがであるが、わざわざAlambique(アランピケ)を語源としてしまい、

 本当の直接語源を記録している『日葡辞書』を知らないのは惜しい。

 いかに高名な学者であっても、こうした手落ちはある。

 文献によって歴史の真相を探るためには、

 徹底した探求が必要であることをよく心にとめておいていただきたい。

 『日葡辞書』はこのほかに、もっと重大なことを教えてくれる。

 それは蘭引が日本で蒸溜器の名として使われるようになる以前に

 「焼酎甑」というものが既に存在していたという事実である。

 リオの謝肉祭(カーニバル)

 ハンヤ節は移民の手でブラジルに伝えられ、

 サンバやマンボの軽快なリズム生み出した。

 世界的になったリオのカーニバルのあの陽気な祭りは、

 キリストとは無縁の焼酎文化なのだ。

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