出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著
82~83頁
樫原神宮の駅から見ると、
東南にある小山が見瀬丸山古墳がる。
日本最大の横穴式石室があり、
英人ゴーランドが巨大な前方後円墳と発表していたが、
長らく円墳に誤認されていた。
空から見ると、大和最大の古墳である。
前方部濠外にある飛鳥時代にの軽寺は
その墓守かと推定している。
しかも奈良盆地を南北に連らねる古道下ツ道は、
この前方部で終わっている。
これも謎である。
現在の欽明陵古墳は幕末に大修築を受けていて、
もとは双円墳らしい。
そして、この古墳の付近に、
野口王墓「天武・持統天陵」古墳、
鬼の俎古墳、菖蒲池古墳、越岩屋山など
終末期の立派な古墳が並んでいる。
昭和47年に3月に、
人物・四神・日月星辰の壁画の見つかった
高松塚も終末期の古墳で、
漆塗りの木棺をおさめた横口式石槨がる。
≪歴史関連リンク≫
KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
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