2015年12月12日土曜日

徳川光圀と那須侍塚


 ≪徳川光圀と那須侍塚≫

  出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
            58・59頁

  那珂川流域の那須地方は、

  古墳の研究史上忘れられない土地である。

  この地にある那須国造碑は17世紀に発見されたが、

  その碑文研究の必要上、

  付近の古墳の発掘が徳川光圀によって進められた。

  それは元禄五年(1692)のことで、

  科学的な発掘として世界史的に注目される。

  当時の学問では8世紀の碑文と

  古墳の年代との区別がつかなかったのである。

  このとき、

  下侍塚と上侍塚とが発掘された。

  どちらも前方後円墳で、

  上侍塚は墳丘の長さ114メートル、

  下侍塚は83メートル、

  上侍塚が先に築かれたようである。

  徳川光圀は遺物の図を作製したあと、

  松板で作った箱へ遺物を入れて古墳へ埋戻し、

  墳丘も整備した。

  そのためか、
  
  どちらの古墳も保存され、

  とくに下侍塚は今日も美しい。

  「写真」下侍塚:栃木県那須郡湯津上村

  「地図」那珂川:湯津上村・小川町

  「写真」上侍塚:栃木県那須郡湯津上村
  「古墳」
  「前方後円墳」
  「陪塚」
  「横穴式石室」
  「竪穴式石室」
  「銅鏡」
  「鉄剣」
  「銅鐸」

0 件のコメント:

コメントを投稿