2015年12月4日金曜日

古市古墳群


 ≪古市古墳群≫

 出典:保育社:カラーブックス:42~43頁
    古墳―石と土の造形―森浩一著
     
   誉田山古墳群築造以前と以後の古墳とが古墳群を形成している。

  誉田山古墳以前の代表例は、

  誉田山古墳の濠をゆがめさせた二ツ塚であるが、

  仲ツ山古墳も墳丘の形態は古い。

  仲ツ山古墳の南側斜面には埴輪の窯址が並んでいる。

  その窯址の南にある三ツ塚の濠底から

  巨大な木ぞり(修羅)が出土した。

  市ノ山(允恭陵)古墳は

  二重濠と陪塚を具えた前方後円墳である。

  允恭天皇を南朝に遣使した倭王済とすれば、

  その墓は5世紀中ごろであろう。

  この古墳を済の墓とするきめ手はないが、

  陪塚に露出する家形石棺は阿蘇溶岩製である。

  「写真」市ノ山(允恭陵)古墳と仲ツ山(仲津姫陵)古墳:
           大阪府藤井寺市

  古市古墳群の南半部にある前方後円墳は、

  前方部を西に向けている。
   
  6世紀前半に集中的に築かれた一群である。

  古市前山古墳の北方に、古市の大溝(水路)が走っている。

  「写真」白髪山古墳と古市前山古墳:大阪府羽曳野市

  悲劇の英雄伝説の主人公日本武尊は記紀によれば、

  景行天皇の皇子であるが、

  この古墳は6世紀のものである。

  被葬者は誰であろうと、

  前方後円墳の美しさの極限にたっしている。

  「写真」日本武尊の古市前山(白鳥陵)古墳:大阪府羽曳野市

  「百舌鳥・古市古墳群
  
  「古市古墳群


  「市ノ山古墳

  「允恭天皇陵


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