2015年12月13日日曜日

関東地方の古墳


 ≪関東地方の古墳≫

  出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
            60~63頁
   東京都の港区にある増上寺のそばの小高い場所が

   芝公園である。

  一気に頂上まで登ると、

  自然石に「瓢形大古墳」の字が彫ってある。

  ここが、明治30年に、

  坪井正五郎氏が発掘した前方後円墳の「丸山」である。

  東京のように家のたてこんだ土地にも

  いくつかの古墳がのこされたことは幸いなことである。

  何としても後世につたえる努力が必要である。

  関東には古墳が多い。
  
  とくに後期の前方後円墳は、

  近畿の数倍もの数が築かれている。

  博物館へ行って、人物や馬の埴輪の出土地を見ると、

  大部分が関東から出土している理由も

  このことに関係している。

  関東で一番大きい前方後円墳は

  群馬県太田市の天神山で、

  墳丘の長さが210メートル、

  付近には前方部の低い朝子塚などもあり変化に富む。

  埼玉県行田市の埼玉古墳群と見くらべると楽しい。

  「写真」天神山古墳:群馬県太田市内ヶ島

  「写真」朝子塚古墳:群馬県太田市牛沢

  《各地方の前方後円墳》

  「写真」カメ塚:宮城県岩沼市
          長径40メートル

  「写真」内裏塚:千葉県富津市
          長径144メートル

  「写真」造山古墳:岡山市高松町
          長径350メートル

  「写真」岩原古墳:熊本県鹿本郡鹿央村
          長径102メートル

  『出典』言語復原史学会・加治木義博:
           KOFUN:255頁
       
  《縄文、弥生、古墳と時代区分の崩壊》

  西から東へ、古墳人が移動するにつれて、

  先住民は東へ、北へと移動した。

  これは弥生人と縄文人との間でも同じである。

  だから地域によっては、古墳人がいる同じ時代に、

  他の地域には、弥生人も縄文人も住んでいた。

  時代によって土器文化が変ったのではなく、

  先住民の去ったあとに後住民が住みついただけなのである。

  土器によって日本列島全域を

   「時代区分」することは間違っている。

  それは過去の遅れていた学問の遺物にすぎない。

  卑弥呼247年~西都原7世紀:南九州地方

  珍438年~武478年

  弥生時代=5世紀後半まで:畿内地方
       ↓
     弥生人
       ↓
      縄文人

    5世紀後半~6世紀:関東地歩
       ↓
     弥生人
       ↓
      縄文人

  縄文時代 7世紀まで:東北地方

  「埼玉古墳群

  「芝公園

  「太田天神山古墳
   
  「内裏塚古墳
  「造山古墳 (岡山県)


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