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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪関東地方の古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
60~63頁
東京都の港区にある増上寺のそばの小高い場所が
芝公園である。
一気に頂上まで登ると、
自然石に「瓢形大古墳」の字が彫ってある。
ここが、明治30年に、
坪井正五郎氏が発掘した前方後円墳の「丸山」である。
東京のように家のたてこんだ土地にも
いくつかの古墳がのこされたことは幸いなことである。
何としても後世につたえる努力が必要である。
関東には古墳が多い。
とくに後期の前方後円墳は、
とくに後期の前方後円墳は、
近畿の数倍もの数が築かれている。
博物館へ行って、人物や馬の埴輪の出土地を見ると、
大部分が関東から出土している理由も
このことに関係している。
関東で一番大きい前方後円墳は
群馬県太田市の天神山で、
墳丘の長さが210メートル、
付近には前方部の低い朝子塚などもあり変化に富む。
埼玉県行田市の埼玉古墳群と見くらべると楽しい。
「写真」天神山古墳:群馬県太田市内ヶ島
「写真」朝子塚古墳:群馬県太田市牛沢
《各地方の前方後円墳》
「写真」カメ塚:宮城県岩沼市
長径40メートル
長径40メートル
「写真」内裏塚:千葉県富津市
長径144メートル
長径144メートル
「写真」造山古墳:岡山市高松町
長径350メートル
長径350メートル
「写真」岩原古墳:熊本県鹿本郡鹿央村
長径102メートル
長径102メートル
『出典』言語復原史学会・加治木義博:
KOFUN:255頁
《縄文、弥生、古墳と時代区分の崩壊》
KOFUN:255頁
《縄文、弥生、古墳と時代区分の崩壊》
西から東へ、古墳人が移動するにつれて、
先住民は東へ、北へと移動した。
これは弥生人と縄文人との間でも同じである。
だから地域によっては、古墳人がいる同じ時代に、
他の地域には、弥生人も縄文人も住んでいた。
時代によって土器文化が変ったのではなく、
先住民の去ったあとに後住民が住みついただけなのである。
土器によって日本列島全域を
「時代区分」することは間違っている。
それは過去の遅れていた学問の遺物にすぎない。
卑弥呼247年~西都原7世紀:南九州地方
珍438年~武478年
弥生時代=5世紀後半まで:畿内地方
↓
弥生人
↓
縄文人
↓
弥生人
↓
縄文人
5世紀後半~6世紀:関東地歩
↓
弥生人
↓
縄文人
↓
弥生人
↓
縄文人
縄文時代 7世紀まで:東北地方
「埼玉古墳群」
≪歴史関連リンク≫
KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
全国の古墳巡り
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『日本の古墳一覧』
『Category:日本の古墳』
『Category:日本の古墳画像』
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