2015年11月8日日曜日

二本木山古墳


 ≪二本木山古墳≫
 
 出典:保育社:カラーブックス:
    古墳―石と土の造形―森浩一著:26~27頁
  
  《二本木山古墳

  小さな円墳に蓋があらわれるほどの浅い個所に

    埋められていた

  石棺内には、二体の男女の遺骸が並んでいた。

  合葬である。

  棺の外に一口の鉄剣があったほかは副葬品はなかった。

  ただ棺の端においた石枕に二人の死者が仲良く頭をのせて

  いたのは印象的だあった。

  夫婦以外はありえないと思っても、

  それを証明できない学問の限界がはがゆくなる。

  この石棺は大阪府南部に産する和泉砂岩を石材にしている。

  兵庫県高砂市の竜山や、

  香川県鷲の山にも古墳時代の石切場がある。

  写真:合葬人骨と石枕(二本木山古墳)

  《割竹形石棺

  ちょうど竹を中央で二つに割って

   蓋と身に分けたようであるというので

  割竹形石棺と名付けられているが、

  畿内地方の前期古墳に普及している

  長大な高野槙製の木棺の形を模した石棺である。

  しかし石材を刳り抜くので木棺ほどの長さがとれないから、

  たいていは2メートルを少しこすほどの長さしかない。

  高松市の石船塚の石枕付きの石棺や、

  大阪府玉手山の安福寺境内の装飾のある石棺などが

    有名である。

  写真:割竹形石棺(大阪府堺市二本木山古墳)

  《並置された箱型石棺

  一つの石棺内での合葬と、

  同じ墳丘内に別々の石棺におさめた合葬では意味が異なる。

  二本木山のような同一棺内での合葬は前期には少なく、

  中期以降に増加する。

  同じ墳丘に複数の埋葬施設を配することは

    逆に前・中期に多い。

  徳島市のシンボル眉山(びさん)の周辺には箱型石棺が多く、

  二棺が並ぶものが三例知られている。

  箱型石棺は、北九州の弥生式墳墓に存在していたが、

  次第に東方へひろがり、とくに徳島に多く、

  阿波式石棺の別名がる。

  写真:恵解山8号墳(徳島市眉山山麓)

     (下の写真は蓋石をはずした状態)


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