2015年11月2日月曜日

佐紀盾列古墳群


 ≪佐紀盾列古墳群≫

 出典:保育社:カラーブックス:
    古墳―石と土の造形―森浩一著:17~22頁

  《佐紀盾列古墳群》

  西方にある佐紀陵山古墳、佐紀石塚山古墳、

  五社神古墳などは前期後半の時期に属し、

  東方のウワナベ・コナベ・ヒシアゲ古墳などは

  中期の古墳である。

  宝来山(垂仁陵)古墳は少し南に離れ、

  近くに唐招提寺の建物を望むことができる。

  周濠は一部後世に拡大されているが、

   前方後円形をしており、

  同一水面でめぐる濠としては最古の形をしめしている。

  8世紀に平城京が建設されているにさいして、

  敷地内の古墳を破壊したことは

  『続日本紀』の記録で推察されていたが、

  最近の平城京の国営発掘によって、

  宮内で大型の二基の前方後円墳が破壊され地上から

  姿を消していた様子が確かめられた。

  さらに宮外でも古墳が破壊されていたことが

  ウワナベ古墳南方で確認された。

  この古墳群は今日では丘陵麓に東西に並んでいるが、

  南方の古墳が取り去られたからにほかならない。

  現地では墳丘や濠以外に見るものは少ないが、

  不退寺境内には巨大な石棺が置いてある。

  また横浜市三渓園にはもと海龍王寺にあったという石棺がある。

  ともにこの古墳群にあったものであろう。

  《ウワナベ・コナベ古墳》


 明治時代に英人ゴーランドが海外に発表したのが

   コナベである。
 
 最近の道路建設で、ウワナベの濠の一部を破壊したのは

 許せぬ暴挙である。

  「地図」

  佐紀盾列古墳群

  「写真」



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