2015年11月1日日曜日

古墳に対する視点


 ≪古墳に対する視点≫

  出典:保育社:カラーブックス:
     古墳―石と土の造形―森浩一著:103頁

  セスナ機やヘリコプターを飛ばせて上空から

  古墳を観察することほど楽しい経験はほかに想いうかばない。

  国際線や国内線の大型飛行機があわただしく発着する

  大阪の伊丹空港から飛ぶ時もあれば、

  八尾空港を利用することもあるが、

  すでに八回の経験を重ねた。

  とくに八尾空港では滑走路から浮上して

  数十秒もたてば、古市古墳群の津堂城山や

  市ノ山古墳を見おろすことができる。

  法隆寺、東大寺、住吉大社、吉野や京都の寺社、

  さては大阪城などさまな歴史遺産も上から見たけれども、

  大地に刻みこみ、重ねあげられた土と石の雄大な

  造形である古墳にくらべるといかにも弱々しい。

  私(森浩一)のえた眼福は、小型機なりの心細さや、

  一回の撮影に数回はくりかえされる旋回に伴う

  あの嫌な内臓の不快感を克服しての結果であるが、

  すでにかずかずの写真で畿内の代表古墳は紹介した。

  大地を画し、高く聳えたつこれらの高塚古墳は、

  墳丘の型式的方法で、より古いものへと遡及し、

  追求していっても、桜井茶臼山や箸墓などの

  大型古墳ではたとゆきどまる。

  これらの古式古墳は、編年的に表現すれば前期古墳であるが、

  その先行形態を何に求めることができるだろうか。


  『出典』言語復原史学会・加治木義博:
      KOFUN:31頁


  上=紀伊山脈上空で毎日新聞社機上からテレビ解説中の私。

  このとき機長は

  「このコースは真方位を正確に飛んでいますよ!」と叫んだ。

  下=直線に並ぶ古墳。

  右手前から景行天皇陵、崇神天皇陵、継体天皇皇后陵



  出典:保育社:カラーブックス:
     古墳―石と土の造形―森浩一著:104頁

  《考古学における古墳研究の視点》

  ここでわれわれが古墳を研究するのに

  どのような視点でのぞむかを簡単に説明しておこう。

  ①地理的環境、とくに山地形、丘陵、平野の

   どこに築かれているかの点。

  ②墳丘の形態と規模、および設計や構築技術。

  ③墳丘を構成する財、つまり土か石か、

     またその併用かの問題。

  ④墳丘を取り囲む空間、とくに濠か空濠、周庭帯の存在。

  ⑤付属する小古墳、いわゆる陪塚。

  ⑥墳丘の外部施設としての葺石や貼石。

  ⑦墳丘、造出し、周庭帯、別区などにおける

     埴輪や土器の配置や埋置。

  ⑧埋葬施設の有無とその種類・数・位置。

  ⑨遺物だけの埋蔵施設の問題。

  ⑩広義の副葬品の種類や数量など。

  以上が主要な観点であるが、このほか、

  ⑪その古墳がのちの時代にどう扱われたか。

  ⑫そこに古墳が築かれる直前はどのような性格の土地であった。

  ⑬当時の集落や農耕地・水路などとの関連。

  なども問題になろう。

  これらは、個々の古墳にたいすることであるが、

  さらに個々の古墳がどのような形態の古墳群を構成しているか、

  ひいてはその古墳群形成の過程の復原などはより

   重要な視点となる。

  今列挙した研究の視点は、

   考古学の方法に限ったわけであるが、

  さらに文献資料をもちあわせた古代学の方法で、

  古墳群とそれをのこした集団の関係や、

  古墳群の消長の背景にある歴史事件の復原から、

  ひいては『古事記』や『日本書紀』では

  語りつくせない時代を再構成することが大きな目標となろう。

  「写真」須恵器と埴輪の出土状態
           和歌山市井辺八幡山西造出し

 出典:保育社:カラーブックス:
    古墳―石と土の造形―森浩一著:105頁

  《研究上の自由な立場》

  考古学と古代学と、学で終わる語を少しならべすぎたので

  誤解をさけるためつけ加えると、

  考古学は歴史学と同じウエイト

  もつ学ではないと私(森浩一)は考えている。

  あくまで歴史学が本体であり、

  その実践研究の方法として遺物や遺跡を

   駆使する考古学があるのである。

  もちろん、文字で書かれた資料と、

  遺物、遺跡などいわゆる物質資料とでは扱いや問いかけが違い、

  それぞれの研究法があるので、

  一人の研究者がいずれの方法をも身につけることは至難のことである。

  しかしそれが深遠な目標であっても、

   協同の研究で近づけることもできよう。

  江戸時代には、味噌汁講といって、

   人々が一つ鍋の汁をすすりながら

  考古の学などの話に打ち興じた。

  これは自然発生的な考古学の研究組織の先駆形態とみてよい。

  現在でも親しみやすいという学問の性格もあって、

  全国各地に数えきれないほどの

   考古学や古代学の研究会があるのである。

  私(森浩一)が古墳の神秘さにうたれ、

  また限りなく展開する謎に魅了されてから、二十数年がたった。

  その間に、いくつかの古墳を発掘する機会に恵まれたが、

  どれだけのことがわかったのか。

  この自省の念が古墳へのアプローチを

   少し固苦しくしているきらいがある。

  私(森浩一)自身が考古学の枠の外へでることはむずかしいが、

  これから自由な立場で古墳を見る人たちは

  考古学の視点にこだわることはない。

  すでに紹介したが、

  奈良市の若草山山頂には雄大な前方後円墳が築かれていて

  鶯塚の名で親しまれている。

  奈良盆地をとり囲む山の麓には、

  各時期の古墳がいくらも点在するけれども、

  鶯塚のように海抜341メートルの高所に築かれ、

  遠く離れても見上げられる例はない。

  鶯塚にたいしても、すでに述べたような視点では、

  葺石があり、円筒埴輪がならび、

  家形や船形の埴輪が出土したことなどを列挙できるけれども、

  それだけではなぜあれほどの景勝の地を墓に選んだのか、

  また選べたのか。

  そこへ古墳を築いた人、あるいは築かせた人たちの

  思想や信仰とかはかいもく明らかにされない。
  
  確信があってのことではないが、古墳への問いかけに、

  時代をこえた人間としての共感でたち向かうことが

  研究者には欠如しているのではなかろうか。

  斬新で、心にふれるような古墳論は、

  論文や研究報告などといかめしい衣をきたところからは

  生まれるものではなかろう。

  この夢を誰かに託しながら、まず箸墓のもっている問題から

  説明しよう。


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