2015年7月9日木曜日

ソナカ仏教布教団の移動経路

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 ≪ソナカ仏教布教団の移動経路
 ≪ソナカ仏教布教団の移動経路

 東南アジアの国々の言葉が、

 どうして日本列島に入ったのだろう。

 私の著書で既におわかりのように、

 3000年前に

 バビロンからカリエン族の祖先たちが

 やってきていたことは、

 沖縄で生産された宝貝産業の痕跡を残す製品や遺跡、

 地名などが、朝鮮半島を経由して、

 中国からシベリアの広域に分布していることで疑いないから、

 中近東から日本列島までの大移動の経路で、

 つぎつぎに各地の人たちが加わってやって来たことも、

 種々の遺物で間違いないが、

 それ以後にも、より大量に、

 かつ組織的に東南アジア経由で

 移住して来たことの確実な人々があった。

 もう申し上げるまでもない

 ソナカ仏教布教団の大群である。

 その人たちの移住が真実であり、かつ、

 経由した地域の住民が日本列島まで

 確かにやって来たという否定できない有力な証拠群がある。

 それは旁国を含む倭人の国々の国名の中に、

 その出発点から経由地そして日本へと、
 
 明らかに移住に伴なって分布した地名国名が、

 次のように点々と連なって現存しているからである。

 「末盧国」

 マトウラ(インド)-

 マドラス(インド)-

 マドウライ(インド)-

 マタラ(スリランカ)-

 マヅラ(インドネシア)-

 マツウラ(松浦=佐賀・長崎県)=末盧国(倭国)

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学講義録14:14頁」

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