2015年7月4日土曜日

済州島に倭人=イオニア人の証拠

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 ≪済州島に倭人=イオニア人の証拠
 ≪済州島に倭人=イオニア人の証拠

 私(加治木義博)の心友で

 済州島研究所長である歴史家・宋錫範氏の

 『済州島古代文化の謎』(成甲書房刊・1984年)に、

 倭の別名である「ヨ」または「イェ」のついた、

 倭人が住みついたために名づけられたと考えられる地域と、

 村の名が挙げてある。

 ヨンルイ。

 ヨウネ。

 ヨレムル。

 ヨクモッ。

 イェチョン。

 イユリ。

 イェジムル。

 この「ヨ」は「ヨナ」を「ヨ国」とみた名残りだし、

 「イェ」は「イオニア」により近い。

 そして『魏書東夷傳』の中には、

 この島のことを

 「馬韓の西海中の大島にいる人たちは、

  ほとんど裸に近いが革の上着だけ着ている。

  そして船で中国や韓国と行ききする」と書いてある。

 ギリシャの赤絵の壺などに描かれた当時の風俗を見ると、

 兵士は革のヨロイを着ているが、

 ごく短いスカートをはいているだけで、

 胸も腕も脚も裸である。

 全然、服装のちがう中国人からみれば、

 腕も脚もまる見えの姿は、

 ハダカ同然に見えたのである。

 このギリシャと日鮮との関係が不明のあいだは、

 この人たちの上着は、

 獣から剥いだだけの毛皮に穴をあけて着ていた、

 と想像されていただけであった。

 しかし今は違う。

 たとえばその島の名物になっている

 古代の石像トルハルバン(石のお爺さん)の顔は

 目も鼻も大きくて口がひっこんで

 「刑事コジャック型」だ。

 おまけにギリシャ帽までかぶっているのである。

 ※出典:加治木義博
     「KKロングセラーズ・HIMIKO:213頁」

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