2015年7月29日水曜日

八俣大蛇退治と焼酎


 ≪八俣大蛇退治と焼酎≫

 『日本書紀』『古事記』の神話は

 必ずしも太古の伝承とは限らないが、

 日本史の中の相当古い部分を反映していることは確かである。

 それをみると、

 スサノオの命の八俣大蛇退治の話にも

 焼酎とおぼしきものが登場する。

 その名をみると古事記では

 八塩折酒とあって何のことやら直ちにはわからないが、

 『日本書紀』の方はよくわかる。

 そのかわり伝承が幾つにも分かれてしまったのを、

 本文のほかに「一書曰く」として

 列記してあるので、

 うっかりみていると、どれが本当やらわからなくなる。

 酒についてだけとり出してみると3とおりに分かれている。

 (本文)   八醞酒。

 (一書の二) 衆菓醸酒。

 (一書の三) 毒酒

 醞の字はもうお馴染みである。

 中国では九醞であったが、

 ここでは八醞になって一つ少ない。

 しかし意味は同じことである。

 衆菓(しゅうか)醸酒は酒の名ではない。

 衆菓とは多くの木の実ということで、

 それで酒を醸造しろという命(みこと)の命令である。

 木の実の酒というと、

 だれしもがすぐブドウ酒を想い浮かべるが、

 古代日本にはエビヅルと呼ばれた

 野生ブドウ(アムーレンシス)しかなく、

 その野生地も限られ、

 果実も小さく、成熟の季節も限られ、

 とても大量の酒は造れない。

 ではそれに代わるどんな果実があったか、

 と考えると、

 ヤマモモ、

 タチバナ、

 ムクノキ等や、

 キイチゴ類、

 ヤマガキぐらいしか可能性がない。

 だがこれは水っぽい漿果(しょうか)だけを考えるからで、

 今、クリ焼酎があるのだから貯蔵のきく、

 クリ、

 シイ、

 ドングリといった

 堅果(けんか)類も酒を造る材料になる。

 衆菓というのは単に量が多いというのでなく、

 種類もまた多くという意味の表現とみるべきである。

 毒酒というのは出来上がった酒に毒を入れたともとれるが、

 大蛇(おろち)は強い酒に酔って

 酔いつぶれたところを討たれたのだから

 この毒酒は強い酒を意味する

 中国式の表現であるとみても内容はそれほど変わらない。

 こうみてくると、

 伝承はまるで異なったことを、

 でっちあげて書いているわけではなくて、

 はじめ

 「衆菓を集めて発酵させ、

  それを蒸溜を繰り返して八醞にした

  その酒はまるで毒酒のように強かった」という内容が、

 時とともにばらばらになってしまって、 

 三者三様の表現が残ったというにすぎない。

 そしてその酒は大蛇にもたとえられるほどの蒙の者を、

 酔いつぶれさせるほどの強烈な焼酎であった。

 とても水っぽいポートワイン程度のものでは

 なかったことは疑いない。

 これをさらに視角をかえてみると、

 醞とか毒とか非常に的確な表現が、

 うまく使われていることと、

 それは酒の種類について、

 かなり詳しい者でないと使いこなせない

 文字であることがわかる。

 それは先の和名抄の酒名のところを想い出して

 いただければ多言を要しないと思う。

 『記・紀』は8世紀の編纂とされるが、

 それまでに原記録が書かれてから相当な年月が経っていることは、

 上のような風化、分裂ぶりからも簡単に推理できる。

 5世紀の<はそう>や樽形土器以前に

 すでに焼酒があったということは、

 少なくとも弥生時代にはあったということである。

 この時代に何か焼酎のルーツを探る手がかりはないであろうか。

 ※出典:

  加治木義博「焼酎入門:112~114頁」

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