2015年7月27日月曜日

魏書東夷伝倭人章の倭人(カリエン系・ギリシャ系・マガダ系)


 ≪魏書東夷伝倭人章の倭人(カリエン系・ギリシャ系・マガダ系)≫

 『魏書東夷伝倭人章』が「倭人」と表現したのは、

 先着順に呼ぶなら、
 
 カリエン系とギリシャ系とマガダ系の小国群が、

  各地に点在、混合していた連合体の総称だったのである。

 ① カリエン系 

   沖縄・狗奴国・球磨・肥前・肥後・小倉・高句麗・夫余

   などを支配していた。

 ② ギリシャ系

   与那国・沖縄・奄美・種子島・大隅・不知火・天草・白日別・

   三韓・邑婁など。

 ③ マガダ系

   沖縄・馬毛島・大隅・巴利国・日向・大分・筑紫・長門・

   馬韓・帯方郡など。

 このリストで同一地域名が重なるのは、

 争奪による変化、または混住地域である。

 もとはギリシャ系で天照大神=ゼウスの巫女だった卑弥呼は、

 ソナカと結婚して優婆畏(ウワイ)=倭の女王になったが、

 仏教宣布を続けるうち、

 夫・ソナカが戦死したので、

 アマゾン=天孫を率いて神功皇后として九州を転戦して勝ち、

 倭国連邦女王として政権を握り、

 朝鮮半島へ渡って、辰韓・弁韓・馬韓の三韓と

 前漢が設けた帯方郡を支配下に置いたので、

 「ソナカを息=沖縄圏、中=中国=九州本土と三韓→息中」

 と当て字し、

 帯方郡を「帯」と表記して『息中帯姫』と名乗った。

 息長・足仲はその別字である。

 そして

 南九州以南をアカイヤ、

 東九州をアイオリヤ、

 西九州を シラクサ、

 三韓・帯方以北をクロアチヤとする五彩圏をつくり上げた。

 これをも少し詳しく解説すると、

 卑弥呼も位宮も

 我が国最古の王朝・高句麗系の孝霊天皇の皇子女だが、

 血統はギリシャ系。

 それがさらにソナカと結婚してインド系の血を交(まじ)えた。

 その子孫が皇室なのだから、

 万世一系は「純血」は意味しない。

 アレクサンドロス式の国際結婚が根本理想だったのである。

 神道も同様で、

 天皇はスメラ王(ギ)、

 天皇陵はスメラ山(須弥山)を象り、

 拝礼はアラブ式に土下座する。

 拝む神はギリシャとインドの神に仏教の死者祭祀を加え、

 祭礼様式はインドのシンドゥのものを模倣し、

 ユダヤ教のへの当て字。

 開聞→不知火→白日別はシラクサでギリシャ系だったが、

 のちシーラバッガ信者=戒律派仏教徒という主張で

 卑弥呼系の人々を洗脳、吸収し、

 新羅になった邪馬壹国(壹與=始祖王)。

 肥後の肥はクマでカリエン系。

 鹿児島県西部から熊本県にかけてが、

 後世まで高族の本拠

 「クマ=熊=高麗(クマ)=高句麗(クロ)」の都として栄えた。

 しかし筑紫は肅慎の本拠として、

 北方シベリヤに支族を送り出し続けて干支圏を支配した。

 それも天智天皇=阿部比羅夫が討った時代まで、

 間違いなく九州に実在したのである。

 倭国の建国紀元をいつにするかは、

 カリエン、ギリシャ、マガダ3系ともに、

 高い文明の持ち主だったので、

 それぞれ独自の考えをもってはいたが、

 この共通点の多い史実によって妥協が生まれ

 卑弥呼による連邦化が完成したとみると、

 3者が(※このブログ歴史徒然「古代日本人文明史年表」参照)

 B.C.E.660年を一致して

 紀元元年にした経緯が、無理なく納得できる。

 それは本当の神武紀元なのではない。

 統一が初めて実現したと人々が実感した時に、

 人為的に制定した「象徴的な紀元」である。

 だが全くの架空のものでもなく、3系が大切にしてきた、

 それぞれの国の建国期が奇跡的に一致した、

 不思議きわまる「神秘な紀元」というべきものだった。

 それは「卑弥呼による長期安定政権」だからこそ生み出した、

 五彩圏連邦の優れた高文化の所産だったのである。

 ※出典:

  加治木義博「大学院講義録21:18・19・20頁」

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