ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2015年7月27日月曜日
魏書東夷伝倭人章の倭人(カリエン系・ギリシャ系・マガダ系)
≪魏書東夷伝倭人章の倭人(カリエン系・ギリシャ系・マガダ系)≫
『魏書東夷伝倭人章』が「倭人」と表現したのは、
先着順に呼ぶなら、
カリエン系とギリシャ系とマガダ系の小国群が、
各地に点在、混合していた連合体の総称だったのである。
① カリエン系
沖縄・狗奴国・球磨・肥前・肥後・小倉・高句麗・夫余
などを支配していた。
② ギリシャ系
与那国・沖縄・奄美・種子島・大隅・不知火・天草・白日別・
三韓・邑婁など。
③ マガダ系
沖縄・馬毛島・大隅・巴利国・日向・大分・筑紫・長門・
馬韓・帯方郡など。
このリストで同一地域名が重なるのは、
争奪による変化、または混住地域である。
もとはギリシャ系で天照大神=ゼウスの巫女だった卑弥呼は、
ソナカと結婚して優婆畏(ウワイ)=倭の女王になったが、
仏教宣布を続けるうち、
夫・ソナカが戦死したので、
アマゾン=天孫を率いて神功皇后として九州を転戦して勝ち、
倭国連邦女王として政権を握り、
朝鮮半島へ渡って、辰韓・弁韓・馬韓の三韓と
前漢が設けた帯方郡を支配下に置いたので、
「ソナカを息=沖縄圏、中=中国=九州本土と三韓→息中」
と当て字し、
帯方郡を「帯」と表記して『息中帯姫』と名乗った。
息長・足仲はその別字である。
そして
南九州以南をアカイヤ、
東九州をアイオリヤ、
西九州を シラクサ、
三韓・帯方以北をクロアチヤとする五彩圏をつくり上げた。
これをも少し詳しく解説すると、
卑弥呼も位宮も
我が国最古の王朝・高句麗系の孝霊天皇の皇子女だが、
血統はギリシャ系。
それがさらにソナカと結婚してインド系の血を交(まじ)えた。
その子孫が皇室なのだから、
万世一系は「純血」は意味しない。
アレクサンドロス式の国際結婚が根本理想だったのである。
神道も同様で、
天皇はスメラ王(ギ)、
天皇陵はスメラ山(須弥山)を象り、
拝礼はアラブ式に土下座する。
拝む神はギリシャとインドの神に仏教の死者祭祀を加え、
祭礼様式はインドのシンドゥのものを模倣し、
ユダヤ教のへの当て字。
開聞→不知火→白日別はシラクサでギリシャ系だったが、
のちシーラバッガ信者=戒律派仏教徒という主張で
卑弥呼系の人々を洗脳、吸収し、
新羅になった邪馬壹国(壹與=始祖王)。
肥後の肥はクマでカリエン系。
鹿児島県西部から熊本県にかけてが、
後世まで高族の本拠
「クマ=熊=高麗(クマ)=高句麗(クロ)」の都として栄えた。
しかし筑紫は肅慎の本拠として、
北方シベリヤに支族を送り出し続けて干支圏を支配した。
それも天智天皇=阿部比羅夫が討った時代まで、
間違いなく九州に実在したのである。
倭国の建国紀元をいつにするかは、
カリエン、ギリシャ、マガダ3系ともに、
高い文明の持ち主だったので、
それぞれ独自の考えをもってはいたが、
この共通点の多い史実によって妥協が生まれ
卑弥呼による連邦化が完成したとみると、
3者が(※このブログ歴史徒然「古代日本人文明史年表」参照)
B.C.E.660年を一致して
紀元元年にした経緯が、無理なく納得できる。
それは本当の神武紀元なのではない。
統一が初めて実現したと人々が実感した時に、
人為的に制定した「象徴的な紀元」である。
だが全くの架空のものでもなく、3系が大切にしてきた、
それぞれの国の建国期が奇跡的に一致した、
不思議きわまる「神秘な紀元」というべきものだった。
それは「卑弥呼による長期安定政権」だからこそ生み出した、
五彩圏連邦の優れた高文化の所産だったのである。
※出典:
加治木義博「大学院講義録21:18・19・20頁」
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