2015年7月14日火曜日

高句麗五部族


 ≪高句麗五部族≫

 高句麗王家が南九州から北上した。

 では「北鮮には行かなかったのか?」。

 『魏書東夷傳高句麗章』をみると

 その国がどこにあって、

 どんな国だったか、

 そしてだれがそこへ行ったか、が分かる。

 「高句麗は遼東の東、千里にあり。

  南は朝鮮、濊貊(わいはく)。

  東は沃沮(よくそ)。北は夫余と接して、

  丸都下(がんとか)に都する。

  方2000里。3万戸」

 「良田なく、佃作(でんさく)に努力しても不足なので、

  口腹の問題は節食が習慣になっている」

 「その性格は凶急(荒くて気が短い)、

  喜んで冠鈔(こうしょう)=侵略して掠め盗る」

 「東夷の旧語(言い伝え)は、

  この人たちは夫余人の別種だという。

  言語、諸事は多くが夫余と同じだ」

 と書いた後、

 次の[五族]があると記録している。

 この[五族]は重要なので、

 少し詳しくお話ししておこう。

 1 涓奴部(ケンノブ)

  この部族は元、国王家の一族だったが今は王にはなれない。

  だがその当主は、

  古雛加(コスカ)という称号を称えることができるという。

  このケンは絹と同じ発音で、

  キヌはその呉音、

  沖縄語ではチヌという国名になっているから、

  当然、国王の名乗りだ。

  その部としての仕事は[キヌの部]で、

  織物と着物(キヌ)の生産と、販売の担当部族だ。

  天照大神が、その主宰者だったことはご存じのとおりである。


  その通名=古竪(ふるげん)氏など。


 2 絶奴部(ゼヌブ)

  この文字は[銭=ゼニ]

  すなわち宝貝を扱った販売部の部族名への当て字。

  高句麗を植民地にした目的は販売だから、
  
  そこで一番の有力部門だったことは、いうまでもない。

  だから国王家の次にある。

  この位置から、その名が銭部だと分かるのである。

  この部の通名は次の部と併せて[貝部]だったとみえて

  今、海部という姓が残る。

 3 順奴部(スンナブ)

  日本の古語では漁は[スナドリ]という。

  魚は砂にいるものではなく、砂にいるのは貝である。

  スナドリという言葉は漁といえば

  貝とりの時代に生まれた言葉なのである。

  この部は販売とならんで重要な基幹部門であった

  貝採集のスナドリ部門が、

  高句麗からみれば第三位にあったことを示している。

  また種子島の言葉はスナドリブといったような

  長い単語を[スンナ]と省略する。

  この名には種子島方言が働いている。

  またこの[順]の字を日本語で[スナオ]と読むのは、

  [砂男]からきているとみると、

  この当て字が貝漁を示していることが、

  いっそうはっきり分かると思う。

  また、NHKの気象予報を聞いていると

  「雨の降る」「天気の悪い」という助詞の使い方が耳につく。

  これは関東方言のクセであって、

  標準語では「雨が降る」「天気が悪い」である。

  この助詞の[の]と[が]の違いは

  3世紀より前からあったとみえて、

  このスナプが[スガブ・スガウ=菅生]という

  当て字として残っている。

  そしてその[スガウ]の名はカリエン人の部族名として、
 
  はるかなミャンマーやタイに今も残っているのである。

 4 灌奴部(カンナブ)

  この部族の名を取った道具がある。

  カンナ(鉋)である。

  こうした道具が現れたのは、鉄器時代に入ってからで、

  この名が部族名と道具名の双方に合うのは、

  その発明者で、供給者だったからである。

  『魏志・辰韓伝』には

  「この国は鉄が出る。

   韓・濊(わい)・倭人が自由にそれを取っている」

  と書いてあるから、その鉄で鉄器を作る仕事が始まっていた。

  もちろんそれ以前から青銅器 も作っていた。

  その担当者がこの[金の部=カンナブ]の人々だ。

  なおその当時のカンナは現在のようなものではない、

  大きいノミのような[やりガンナ]

  といわれるようなものが当時の文化財としてたくさん出土している。

  刀剣以外の木を削る道具をカンナと呼んだのである。

  中国地方は山地に[カンナベ・カンナビ]という地名が残っているが、

  川辺も[カンナベ]と読めるので、

  この人々の移動の跡がたどれる。

 5 桂婁部(ケイロウブ)

  この部族が今の王族だと書いてあるから、

  先にみた九州を北上していった

  太祖王・宮や山上王・位宮の一族である。

  それはその[宮]の名が示すように

  ヒミコの一族であることが分かっている。

  それならこの[ケ]は[毛]である。

  ケは沖縄 発音に直せば[キ]だから、

  ギリシャ人の王を意味する[キリ王]に対する

  カリエン訛りに当て字したものである。

  その仕事は[斬り王=軍事]だったことが、

  位宮王のその後の行動で分かる。

  彼は歩兵、騎兵あわせて2万を率いて魂の大軍と戦ったのである。

 ※出典:加治木義博「JINMU:172~174頁」

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