2015年7月1日水曜日

東西文化交流の歴史

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 ≪東西文化交流の歴史
 ≪東西文化交流の歴史

 東西文化交流の歴史文献は大量にはないが、

 日本人のルーツ・保育社(カラーブックス)でとりあげた例が、

 裏付けできるかを、要約する。

 まず間接的な背景になった事件を年代史でみて行くと、

 紀元前(以下紀元を省略して「前」「後」とする)

 前5000年頃 ブルガリアで金属器使用が認められ、

 前4000年頃 メソポタミアにシユメル文化が興り、

 前2500年頃 アーリア人の大移動が始まり、

 前2000年頃 インドに侵入、

 前1500年頃 中国に殷(いん)の青銅文化発生。

 前1300年頃 鉄器文化をもったハッティ王国生まれ、

         アッシリアがバビロンを支配、

 前1200年頃 両王国とも滅亡。

 『インドでは』

 前1000年頃 都市国家繁栄、カースト制度が作られ、

         ブラフマンが最高権力をにぎり、

         バラモン教時代となる。

 前 480年頃 釈迦が死に仏教興る。

 前 327年  アレクサンドロス北インド征服。

 前 322年  チャンドラグプタがマガダ国をとる。

 前 244年  その子孫アショカ王は仏教々典を結集、

         世界各地に宣教師団を派遣、

         その磨崖法勅(まがいほうちょく)によれば、

         その伝道は西はギリシャ、エジプトを越えた。

         東はヤナカ、スワンナブーミ、

         タムバパンニディーパという国名があり、

         谷中(やなか)、諏訪、不弥(ぶみ)、

         丹波(たんば)という日本の地名によく似ている。

         その団長名もソナカという

         『日本書紀』に登場する外来者

         蘇那曷(そなか)と

         同名の人物やミジマやサンバラという

         三島、三原という

         当て字のできる人々がいて注意を要する。

 前  10世紀 殷滅亡直前、

         王子箕子(きし)は亡命して朝鮮国を建国した。

 前 194年  その子孫の準(じゅん)王は

         燕人の衛満(えいまん)に国をとられて

         海を渡って逃げ、韓(かん)人の王となる。

         『漢書』にはまだ韓という名は見当らない。

         それは朝鮮半島から海を渡る所にあり、

         後3世紀の『魏(ぎ)志』にある半島南部の

         韓は、それ以後半島に移住したものである。

         そうした位置関係からみて準王の逃げた

         韓とは日本列島以外にあり得ない。
  
 後  57年  倭奴国王が後漢の印綬(いんじゅ)受けた。

         1784年に福岡県志賀島(しかのしま)で

         出土した金印には

         『委奴(ウワイト・いぬ)国』とある。

         イヌとインとはわずかな発音差しかない。

         『記・紀』には多くの移民が

         日本列島へやって来たことを記録している。

 後  10世紀 建国した中国北宋(そう)の

         太宗(たいそう)皇帝のいった、

         有名な日本評価を正史の『宋史』で見てみよう。

         彼はやってきた日本僧から日本の歴史を聞き、

         深いため息をついて宰相に話した。

         「日本の天皇はすでに64代も続き

          万世一系であり、

          臣下も代々親のあとを継ぐという。

          これに比べて中国は革命につぐ革命で、

          宋(そう)になる前の5代など、

          ひどいのは4年で亡びた。

          朕(ちん)が日夜政務に励むのは、

          お前らの子孫の安定した暮しを願うからだ。」

 確かに日本の天皇制は

 世界に類のない千数百年の安定をもたらした。

 多少の動乱はあったが、

 革命のたびに逃げまどい生命財産を失った中国人に比べて、

 日本人は幸福だったといえる。

 そんな政治技術は未開人の間では生まれない。

 多くの体験と高度の先行文明の実在を立証しているのである。

 ※出典:加治木義博

     「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):150・151頁」

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