2015年12月28日月曜日

見瀬丸山古墳と天武・持統合葬陵

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 《参考:年表・資料》

 出典:保育社:カラーブックス:
        古墳―石と土の造形―森浩一著
    80~81頁

 《見瀬丸山古墳》

 墳丘の長さが318メートルの大型前方後円墳で、

 後円部に開口していた横穴式石室は長さ26メートルもる。

 二つの家形石棺『聖跡図志』などに描かれているが、

 私は欽明天皇と堅塩媛の棺と推定している。

 「写真」見瀬丸山古墳:奈良県橿原市見瀬

 「写真」現文武天皇陵と高松塚:
          昭和45年8月16日撮影

 「写真」都塚の家形石棺:明日香村阪田

 「図」聖跡図志にえがかれた見瀬丸山古墳の横穴式石室と高松塚

 《天武・持統合葬陵》

 鎌倉時代にこの陵が荒らされ、

  一人の僧が詳細な記録を残した。

 『阿不幾乃山稜記(あおきのさんりょうき)』がそれで、

 切石造りの横穴式石室に天武天皇は乾漆棺、

 持統天皇の火葬骨は蔵骨器に葬られていた。

 野口王墓古墳である。

 「写真」山稜図にえがかれた
         野口王墓(天武・持統陵)の石室

 「画」山稜図にえがかれた江戸時代の高松塚

 「写真」梅山(欽明陵)古墳:奈良県明日香村平田

  「古墳」
  「前方後円墳」
  「陪塚」
  「横穴式石室」
  「竪穴式石室」
  「銅鏡」
  「鉄剣」
  「銅鐸」

  ≪歴史関連リンク≫
  KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
   全国の古墳巡り
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