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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪百舌鳥陵山古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
48~49頁
《百舌鳥陵山(履中陵)古墳》
48~49頁
《百舌鳥陵山(履中陵)古墳》
国鉄阪和線上野芝駅西方の大先方後円墳で、
誉田山古墳につぐ三番目の規模であり、二重濠の跡がある。
西側の造出しから小型の赤焼き土器や須恵器が
出土したことがある。
百舌鳥大塚山の造出しでも特殊な土師器が出土し、
祭りの場であることを示している。
残念なことに、戦後の開発で陪塚が破壊され、
その一つである七観山古墳からは、
おびただしい鉄製の武器類が出土した。
刀・剣・鉾・鏃・甲や冑・馬具・工具などで、
とくに刀・剣・鉾は数百人を武装させるに足る数であった。
このほか、中国製の優秀な金銅製帯金具があり、
5世紀の支配者の特色があらわれている。
「写真」:上石津ミサンザイ古墳:大阪府堺市
「写真」土師ニサンザイ古墳:大阪府堺市土師町
『出典』言語復原史学会・加治木義博:講演会:
(毎日新聞:1994.10.28)
《履中陵・第2の被葬者?》
前方部、謎の円丘(付近から形象はにわ)
大阪府堺市の履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)から出土、
宮内庁書陵部が保管するはにわの公開で、
同陵前方部に被葬者とは別の重要人物が
埋葬されているとの見方が、
27日までの考古学者の分析で強まった。
前方部に類例のない円丘があり、
この付近から、
通常埋葬施設の上部に配置する形象はにわが
見つかっているため、
巨大古墳築造をめぐる謎がさらに深まった。
履中陵は、世界最大の墳墓・仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の
南にあり、
縦の長さは360メートル、後円部の直径200メートル、
全国3番目に規模の前方後円墳で、築造形式などから
5世紀初めごろのものとされる。
墳丘上は未調査だが、
測量で平たんな前方部の南端に庇のようなくぼみに囲まれた
直径約30メートル、高さは数メートルの円丘が確認され、
謎とされてきた。
宮内庁が研究者らを対象に初公開したはにわは
家形や杯形、靭形などの形象はにわ・18点で、
いずれも5世紀初めの様式。
1986年12月、地元の大学生がこの円丘付近から盗掘し、
押収されたものが中心。
白石太一郎・国立歴史民族博物館教授によると、
通常は後円部に主たる被葬者を葬り、
その上部に家形はにわなどを方形に配置、
周囲に杯形はにわなどを並べる。
写真:履中陵の前方部から出土した盃形はにわ=
宮内庁書陵部展示目録から
宮内庁書陵部展示目録から
(毎日新聞:1994.10.28)
「百舌鳥陵山古墳」上石津ミサンザイ古墳
≪歴史関連リンク≫
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