2015年12月30日水曜日

飛鳥と石舞台古墳

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 《参考:年表・資料》

 出典:保育社:カラーブックス:
        古墳―石と土の造形―森浩一著
    86~87頁

 《飛鳥と石舞台古墳》

 飛鳥の古墳は数えあげると意外と少ない。

 範囲をやや広くとっても、十数期があるだけである。

 実際には数が少なくても、

  飛鳥といえば古墳を連想するのは、

 この石舞台の印象があまりにも強烈であるからであろう。

 石舞台は横穴式石室では最大級であっても最大ではない。

 石室の長さでは見瀬丸山や福岡県の

 宮地嶽神社境内の大塚の方が大きいし、

 石室の高さでは岩橋千塚天王塚が、

 玄室の長さでは伊勢市の高倉山古墳がより大きい。

 それにもかかわらず石舞台が印象づけられるのは、

 古墳の封土の中にかくされずに、

 石室がむきだしになっているからであると思われる。

 「写真」石舞台古墳:墳丘のはり石

 《石舞台古墳》

 喜田貞吉博士の研究依頼、

 石舞台は蘇我馬子桃原墓説が有力である。

 年代的には矛盾はない。

 この大古墳が盛土を失ったのは、

 蘇我氏にたいする懲罰であるとの説があるが、

 案外事実かも知れない。

 未完成の古墳との考えもあろうが、

 石室内に石棺の破片があったからそれは認められない。

 石舞台の調査を実現されたのは濱田耕作博士で、

 博士の発想の背景には、

 イギリスの巨石記念物との技術的関連の

  究明があったようである。

 現場での研究は末永雅雄博士が担当され、

 埋もれていた濠や斜面のはり石が検出され、

 石舞台は方墳であることがわかった。

 全長19メートルの石室の壁面を構成する巨石は、

 磨かれてはいるものの文殊院西古墳の切石より、

 前段階の技術である。

 最大の天井石が77トンあることであろう。

 すぐ南東の都塚も見ておこう。

 「写真」巨石の組合せ:石舞台


 『出典』言語復原史学会・加治木義博:
         TAIKA:117~121頁

 《謎に満ちた敗北者「蘇我」の系譜》

 「石舞台古墳」
 
 蘇我の馬子の墓として最も有名な遺物。

 しかしその本当の正体は……?

 本書で始めて論理的に明快に答が出た

 「ウマコ」の実態と、これがどう結びつくか?

 日本の古代史は今後ますます面白くなる……!

 《蘇我への当て字と発音のいろいろ》

  蘇我は『日本書紀』には、

  いかにも氏族らしく家系や歴史が書かれている。

 しかし他の文献を数多く見ると、

  実に様々な当て字が使われていて、

 どれが本当だかわからないほどである。

 中にはそのままではとうてい

  ソガなどと発音できないものもある。

 しかし「大化改新」は『日本書紀』では、

 ありふれたクーデターのように粉飾されているが、

 その結果、

  日本国が倭国に代わって

  日本列島を統治すること打なったのを見ると、

 その「蘇我氏」と書かれた人々こそ

  倭国政権の主体だったことは間違いない。

 ソナカに対する当て字だということはわかったが、

 次はそれがどういう意味に受け取られていたのか、

 その名がどんな意味をもっていたのか、

 といった面から観察していってみよう。

 この氏族は『古事記』の[孝元天皇記]に、

 一番古い系譜に当たるとされるものが出ている。

 それによると孝元天皇の孫、

 建内宿祢(『古事記』)=

  武内宿祢(『日本書紀』)の子

 「蘇賀・石河・宿祢」が祖先ということになっている。

 [波多・八代・宿祢]=
  ハタ・ハダ・すくね。

 「許勢・小柄・宿祢」=
  コセイ・コヘイ・すくね。

 「木の・角・宿祢」=
  キノ・チヌ・すくね。

 もうよくおわかりと思うが、

 みんな姓と名が同じ言葉の方言差を

  並べたものになっている。

 最後から逆に説明すると、

 「キノ」の沖縄方言は「チヌ」である。

 次は、

  日をシと発音する人たち(東京、鹿児島など)は

 「コセイ」と発音し、

 サ行をハ行に発音する人たち(大阪・四国)は

 「コヘイ」と発音する。

 次は、

  清音発音の人たちは「ハタ」。

 濁音発音の人たちは「ハダ」と発音する。

 次は、少し複雑で

 「石」の字を「ソ」と古音で発音する人々と

 磁石の「シャク」と発音する人たちとの違いである。

 一見、姓名のようにみえるが、

  こうした名は姓名ではない。

 一つの名乗りをいろいろ方言で読んだものの内から

 二つ選んで並べただけのものである。

 これによって蘇賀=石河であったことが明らかにわかった。

 「蘇」の字は「蘇芳(スホウ)」と書くと

 「ス」と発音するから、

 その名は「ソカ」「スガ」「シャクカ」などと

  発音されていたのである。

 《蘇我の由来とアスカの語源》

 蘇我はまだ多くの当て字をもっている。

 その中で特にわかりにくいのが「巷宜」である。

 「巷」は普通「チマタ」と読まれるが、

  漢音では「カウ=コウ」である。

 「ソ」とも「シャク」とも全然読めない字である。

 「宜」も「ヨロシ」「ギ」「ノブ」としか読めない。

 だがこの謎も他の当て字と比較してみると、

  きれいに解ける。

 蘇我の一番の特徴は仏教の保護者だったことだから、

 「石河(シャクカ)」と当て字されたのは同じ発音の

 「釋迦(シャカ)」への当て字だった可能性もある。

 この「巷宜」も同じ発音への当て字だったとみると

  謎が解ける。

 「釋迦(シャカ)」

 「石河(シャクカ)」

 「巷宜(シャクカ?」と並べてみると

 「巷」と字の形も発音もよく似た

  「若(ジャク)」の字があることに気づく。

 「宜」の中の「且(カツ)」という字の発音は「カツ」。

 これで、

 「若宜(ジャックカツ)」という

  濁音の当て字が復元できる。
 
 古い「石河」と、

  新しい「巷宜」とが、

 この当て字の元の発音は

 「シヤカ」だったと証言したのである。

 とすれば、

  私たちが一緒くたにしているいろんな当て字のうちの

 「蘇我・宗我・宗賀・曽我」といったものは、

 敗者に勝者が押しつけた仮の名。

 本当の名がわからなくなるように

 変型させられた名乗りでしかなかった、

 とみることが必要になる。

 ここまでわかると河内王朝の祖、

 応神天皇も八幡大菩薩という仏教名をもっている。

 その両親である仲哀天皇の名乗りは

 「足仲彦(ソナカ・ひこ)」。

 神功皇后は「息長帯姫(ソナカ・ティ・ひめ)。

 この皇后の仏教教主としての部分は

 間違いなくヒミコに当たる。

 結局、

 インドで釋迦の死後、

 文字による最初の仏典結集をなしとげ、

 八方世界に仏教弘通(ぐずう)の使節団を派遣した

 マガダ国のアショカ王が、

 東方に派遣した「ソナカ」と同じ名になる。

 そして統一日本国誕生後、

 蘇我・倉山田石川麻呂が自殺した山田寺跡や、

 蘇我馬子の墓だといわれる石舞台古墳などは、

 すべてアスカ(飛鳥・明日香)にある。

 すると、

 これまで意味不明だった「アスカ」という地名は、

 そのアショカ王を記念して

 名づけられた地名だとみると関連性がよくわかる。

 そしてこの名も

 「お釋迦」を「阿釋迦」と書くと

 「アショカ」とも「アソカ」とも読めるし、

 「阿・蘇我」も「アソカ」とも「アスカ」 

 とも読める。

 「飛鳥」という地名の謎の答えは

 以上挙げた中のどれか一つか、

 あるいはその全部が正しいとみていいであろう。

  「古墳」
  「前方後円墳」
  「陪塚」
  「横穴式石室」
  「竪穴式石室」
  「銅鏡」
  「鉄剣」
  「銅鐸」

  ≪歴史関連リンク≫
  KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
   全国の古墳巡り
  『天皇陵』 
   『古墳マップ』 
  『古墳』
  『日本の古墳一覧』
  『Category:日本の古墳』
   『Category:日本の古墳画像』
  Category:日本の陵墓の画像
   堺市デジタル古墳百科
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  装飾古墳データベース
  考古用語辞典

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