2015年10月13日火曜日

大己貴命と「タカラ」≪曲玉(勾玉)≫


 ≪大己貴命と「タカラ」≫
 
  漢書地理志の「燕国」に

 「東方の夷人は天性柔順で、他の地方とは違う。

  孔子が道の行われないことを悼み、海に船を浮かべて、

  東夷の国に住もうとされたのも理由のないことではない。

  楽浪の海の中には倭人が百あまりの国に分かれ、

  その歳おりふし貢物を持ち来見するといわれる」とある。

 この条文についても一般に古代の日本のことと理解されているが、

 「倭人」は本書の 「第10章天毒とセリカ」などでみたように

 日本列島にいた人々だけとはかぎらない。

 しかしそこにある「天性柔順」では

 全く「倭」の字義に相当するものである。

 「倭」とは、「従うさま」をいったもので

 「委」は「身をかがめる、身を屈する」で

 「恭順」ないし「柔順」の意味である。

 この「身をかがめた」姿態こそ山椒魚の姿で、

 いわゆる「はいつくばり」の様である。

 それをサンスクリット語で表現したのが「ナムチ」である。

 「大己貴命」名で、大山椒魚を称するものである。

 Nam、namati は

 「~に向って屈む、~にお辞儀をする、沈む、静かになる」で、

 ānamati は

 「屈む、頭を下げた、屈んだ、服従した、従順な」

  などの意味となり、

 大己貴命の像に合っている。

 同類語に namuci があるが、

 これはインドラ神に征服された悪魔の名で、

  namuchi-dvis(devasa) はインドラ神の称であるが、

 この namuchi が大己貴命の「ナムチ」になったとはいえない。

  Namuchi が該当すると考える。

  身を屈めて這いつくばる山椒魚はまた「生尾人」である。

 『古事記』の神武東征で、

 次々と神武軍に制服された大和の種族で、

 彼等を「オオ、多」と解釈し、

 登美族の種族だと見解を述べた(第12章)。

 「尾の生えた人」は大山椒魚である。

 その事が小児(童)の様だというのは「河童」の様子に重ねるし、

 シュメル伝説のオアネス(Oanes、Oannes)を想起させる。

 紀元以前に渡来した

 ヤーダヴァ族(ドヴァラカー族)である登美族は、

 その土地の大山椒魚信仰

 (縄文時代後期晩期からあった)を知り、

 彼等の祖先の像との共一性からその神名を「ナムチ」と

 言い慣らし始めたと推測される。

 水棲動物 yadu は彼等の種族性そのものである。

 大己貴命とは大山椒魚(大黒主)を神格化した名称である。
 
  大己貴命名は『日本書紀』の名称である。

 その一書は

 「大国主神、別名大物主神、国作大己貴命と名付く、

  葦原醜男命、八千戈神、大国玉神、顕国玉神」

 と七つの尊称を挙げる。

 『古事記』は

 「大国主神、

  亦名大穴牟遅神と謂ひ、

  亦名葦原色許男神と謂ひ、

  亦名八千矛神と謂ひ、

  亦名宇都志国玉神と謂ひ、

  并せて五つの名有り」と記す。

 本書にはこれで大国主神を含めた尊称のうち、

 大己貴命、葦原醜男神、八千矛神の五神について

 述べたことになる。

  さて、

 山椒魚の「玉子」卵嚢は勾玉(曲玉)の原形であると述べたが、

 出雲の富氏族はこれを「財(たから)」と称したという。

 大己貴命信奉には勾玉が欠かせないことは明らかである。

 そして、その国を「タカラ」と称したと考えられる。

 東鯷国は大陸の漢人が呼んだ呼称である。

 だが「山椒魚国」の人々は自身で

 「タカラ」と呼んだ可能性がある。

 「財」の付く地名は

 岡山県、佐賀県、宮崎県、鹿児島県と

 山椒魚名のある地域にある。

  山椒魚は

 「ブリタニカ百科」によると

 「皮膚がサンショウの木の皮に似るとか、

  皮膚にたくさん顆粒があって刺激すると
 
  サンショウ匂いに似た

  乳白色の液を出す。

  サンショウの樹皮を食べるなどと

  伝えられていることに由来するらしい」のであるが、

 どちらにしても香辛料ともなる「山椒」と関係がある。

 日本列島の山椒は
 
 古代においては重宝であったとみられる。

 三国志魏書倭人章には倭の地の産物として

 「椒」が記されているからである。

 この山椒を南方からやって来た

 貿易商人のヤーダヴァ族は

 Takkola と呼び、香辛料の一種として使われている。

 Takkola はヤーダヴァ族あるいは

 「天毒の愛人」であるインドの商人達が

 インド亜大陸へ伝えた地名と考える。

 その名は「ミリンダ王の問い」で

 貿易商人が訪れる先として挙げられている地方の一つである。

 Vagṅaṃ、Takkolaṃ、Cinaṃ、Soviraṃ、

 Suraṭṭhaṃ、Alasandaṃ、Kolapaṭṭaṅaṃ

 とチーナ(支那)と並んで現れる地名である。

 各地名がどこを指すのか 「第10章天毒とセリカ」の

 「インドの海洋交易商人」に詳しく解説した。

 Kolapaṭṭana については「第10章天毒とセリカ」でも

 推論を展開した。

 そこで中村元が

 「タッコーラ(北アルコット地方)」と

 インド亜大陸のベンガル湾側、

 つまり東インドの中間辺りを比定地としていることに

 疑問を提起しておいた。

 チーナに近い東アジアの地域に想定することは不可能ではない。

 その地域を日本諸島に限る必要はない。

 インドの商人は大陸ではない

 倭人の住む東方の島峡を「タカラ」と

 総称していたかもしれない。

 そこはセリカの一部であった筈である。

 台湾の台北から基隆新店両渓流間を

 「タカラ」あるいは「タアラア」と呼んでいた記録がある。

 漢字の表記で「大加蚋」ないし「大佳蠟」である。

 まだ漢族が積極的に渡来しなかった

 16世紀頃までの古名である。

 因みに Vaṅga についても

 中村元はベンガル湾の奥の地方ガンジス川下流を

 想定しているが、

  Vaṅga はインドネシア語の「香料」を意味する

  wangi (wangan) に近似し、古来香料諸島と呼ばれている

 Maluka (Mulccas) に比定できるのである。

 そこは丁字の原産地で、

 バビロニアの時代から丁字はメソポタミアに運ばれた。

  「タカラ」は考えられる日本の最古名である。

 「タカラ」が「タケル」に転訛したとすれば、

 『古事記』の国生み神話に「建」に冠されている

 下記の名称はその遺称である。

  〇建依別 土佐国

  〇建日向は豊久士比泥別 肥国

  〇建日別 熊曾国

  〇建日方別 吉備児島

  
  大己貴命の神名は以上のような日本の「創世」の頃の

 秘密が隠されているのである。

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