2015年10月11日日曜日

水戸神≪曲玉(勾玉)≫


 ≪水戸神≫
 
  大国主神が国譲りした後について

 『古事記』は次の様に記す。

 日本古典文学大系から転載する。

  出雲国の多芸志の小浜に、天の御舍を造りて、水戸神の孫、

  櫛八玉神、膳夫と為りて、天の御饗を獻りし時に、祷き白して、

  櫛八玉神、鵜に化りて、海の底に入り、底の波邇を咋ひ出でて、

  天の八十毘良迦を作りて、海布の柄を鎌りて、燧臼に作り、

  海蓴の柄を以ちて燧杵に作りて、火を鑽り出でて云ひしく(略)


  「多芸志の小浜」について

 現在の出雲市武志町に比定する意見がある。

 吉田東伍「大日本地名辞書」は

 「武志に膳夫明神存し、杵築にも水戸社あり、

  その水戸神の裔を財氏と称し、世々別火の家なり」と記す。

 太田亮「姓氏家系大辞典」は財氏について

 「水戸神裔、出雲大社の社家にして、

  応安3(1370)年8月28日の連署に『別火、財貞吉』見ゆ。

 水戸神の孫、櫛八玉神の後裔と伝えらる。

 杵築に水戸社存す。」と記している。

 杵築大社の「水戸社」は現在「湊社」と表記されている。

 境外摂社である同社について

 第82代出雲国造千家尊統は「出雲大社」の中で

 「祭神、櫛八玉神で大社社家上官の別火氏の祖先神」といい、

 その神事である身逃神事(神幸祭)に関して

 「この身逃げ神事を奉仕するのが本来別火氏であった」

 と述べている。

 財氏はまさに吉田大洋「謎の出雲帝国」で紹介された

 「富上宮出雲臣財富雄」氏と関係する一族であろう。

 「財」は勾玉をいうものであることは紹介済みである(第12章)。

 この『古事記』が述べるところは、

 出雲大社を国譲りの直後は富氏(登美族)の一族である

 財氏と同族の別火家がその奉祭に当っていたが、

 後に天穂日命の一族出雲国造家が大和の神武天皇の王朝から

 奉祭を担うよう託されたという史実であろう。

 別火家名は「火を分ける家」の意味で、

 八雲村の熊野神社で火護の神事に奉仕していた一族とも考えられる。

 つまり熊野神社は富氏族の奉祭する神社で、

 その祭神櫛御毛野神を富氏が祖神としていたとみられ、

 出雲井神社や富神社で祀る久那斗神(穴掘神)と

 既述した理由はそこにある。

  これらの状況を背景に持つ「水戸神」もまた

 富族(登美族)に係る神名である。

 同神名は『古事記』の
 
 伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの段に続く

 神誕みの段にその両神の御子神として

 「水戸神、名は速秋津日子神、

  次に妹速秋津比売神を生みき。」とある。

 続けて『古事記』はこの二柱の秋津神から

 沫那芸(あわなぎ)神など八神を生んだことを記すが、

 その神名は「河海に因る」名称である。

 水戸神は単に「湊」の神であろうか。

 その秘密は「秋津」にあるが、

 これもシュメル、いやそれより古く

 人類の灌漑を始めたころに遡って解釈しなければならない。

 メソポタミアのサマッラ遺跡の新石器時代の遺構で

 人類の初めての灌漑施設が見つかっている。

 チグリス川の水を制することは

 小麦などの生産を増大させる重要な技術であった。

 その様子は第2章 「メソポタミアと牡牛」で述べた。

 灌漑技術は建設技術であった。

 その点で「水戸神」が建設神である始まりである。

 そして「ノアの方(箱)舟」の様に

 建築は常に水と向き合ったものであった。

 この「箱」を意味する用語が、

  ギリシャ語で αρχι、

  ラテン語で arca、arceu 、

  ドイツ語で arche 、

  英語で ark であり、

 この箱を作る者(建築師)が

  αρχιτεκτων(ギリシャ語)、

  architeta(ラテン語)、

  Architekt(ドイツ語)、

  archtekt(英語)である。

 これらが「秋津」の祖語であり、

 その本来の字義が「建築師」であるから

 「建物を建てる職匠」である建御名方神と同義と考えられる。

 つまり「水戸:ミナト」とは minati の音写であることとなる。

 水戸神を建御名方神の別称とすることもできる。

 多芸志の小浜に「天の御舎」を建てたのもこの水戸神であろう。

 Māna の字義の中には「建物、住宅」と共に「祭壇」の意味がある。



  この水戸神が祀られているのが長野県の水内郡にある。

 「水内」は和名類聚抄の流布本に「美之知」の訓を付して、

 延喜式神名帳にも

 「ミノチ」訓じており、 minoti の音写である。

 というのも

 前出の神名帳に載る伊豆毛神社の神名に数説あることを紹介し、

 その中で出雲建子命が

 その本来の祭神の可能性が高いと述べておいたが、

 「水内」名の解釈から判断したものである。

 「建子」は「建家」ないし「建戸」で「建子屋」は大工を意味し、

 出雲建子命とは建御名方神の別称、水戸神でもある。

 『日本書紀』持統天皇5年8月23日条

 「辛酉、遣㈡使者㈠祭竜田風神、信濃須波水内等神㈠」とある

 「水内等神」は「ミナト神」で諏訪大社の建御名方神のことであり、

 「水内などの神」の解釈は当たらない。

 神名帳の水内郡の南方の更級郡記載の「當信神社」があるが、

 訓を付していない。

 国史大系は「多岐志奈」を参考としている。

 同社は現在上水内郡信濃新町信級に鎮座し、 

 大年神と建御名方神を祭神としている。

 その近くを流れる川も「たぎしな川」と呼ばれているが、

 同名は「多芸志」を移入したものと考えられ、

 出雲からの遷宮とみられる。

  諏訪大社の神系洩矢神の系譜にも

 不思議なことに建設業者の信仰が寄せられている。

 洩矢神の御子神は守田神というが、守宅神とも表記され、

 水内郡には延喜式神名帳にも記載された

 守田神社(長野市長沼)が鎮座する。

 またその御子神である千鹿頭神の系譜に連なる千勝神社のうち

 茨城県下妻市堀篭の千勝神社(祭神猿田彦命)は

 昭和の時代ではあるが東京深川の建設業者の信仰を受け、

 同社系は偏在も関東の建設業者から尊崇されている。

  建御名方神の祖像は縄文時代に始まる柱建て信仰を継承した

 「木霊」に対する信仰でもあろう。

 「動かざるもの」は木の最も特徴的な性格である。

 鳥取県気高郡気高町の、出雲国引き神話と同じ名を持つ

 八束水(やつかみ)地区に鎮座する姫路神社の境内摂社には

 「水戸神、樹木大明神」が坐る。
 
 石川県加賀市三木町の御木神社(現祭神大御食津神)、

 富山県婦負郡婦中町田屋の杉原神社(祭神木祖神)は

 その木霊に対する信仰の社であろう。

 速秋津比古命を祀る神社が

 石川県鹿島郡鳥屋町瀬戸の瀬戸比古神社である。

 同社も延喜式神名帳能登国羽咋郡に記載されている。

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