2015年9月21日月曜日

能と日本刀のルーツ


 ≪能と日本刀のルーツ≫

 能は日本を代表する芸能の一つで、

 日本で考案されたものと考えられてきた。

 しかし、

 中国の甘粛省にあるチョニには、

 能装束そっくりの衣装に面をつけ、

 おまけに日本刀そっくりの刀をもって舞う儀式が伝承されていた。

 面の大きさと表情は違うが、その意義は変わらない。

 こうしたものは一体いつ誰が日本に伝えたのか?

 面や肩衣の形式は違うが細部にわたって、

 能装束と共通点をもつ。

 日本の仏教は百済から入り、

 百済へは中国から渡来したというが、

 それを具体的に示すものはなかった。

 チョニには能装束の他にも、

 日韓と共通の風俗が沢山ある。

 ことに仏教に関連して、

 一見奈良を思わせる多くの共通性が、

 他のどの地域にも見られない程大量にある。

 高さ12mに及ぶ大仏までそろっている。

 チョニはチベットとモンゴルに隣接するので

 当然ラマ教であるが、

 どちらにも共通性をもたずに、

 かえって日韓の方に近いのである。

 百済仏教なるものの正体と、

 百済人の日本への帰化等の、

 謎を解明する鍵が

 中国の甘粛省チョニ(黄河の上流)にはある。

  ●「田毎の月」を思わせる棚田が中心経済

  ●奈良を思わせる寺院建築

  ●チャンテン寺の経蔵

  ●天びん棒と水桶

  ●チョニのお練り供養

  ●烏帽子のルーツ

  ※出典:加治木義博
     「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):91・92・93頁」

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