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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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≪姫木山≫
幕末の歴史学者に
鶴峯戌申(つるみねしげのぶ)という人がいる。
彼も卑弥呼の邪馬臺国は姫木だといった。
その地域は、
いまは隼人町と国分市に分割され、
現地に行ってみると想像以上に広大で、
その中央に姫木山が急峻な絶壁に囲まれて肇えている。
その姿はモーゼ(モーセ)が十戒を授かったという
シナイ山によく似ていて、
いかにも別世界の仙境を思わせる山城跡である。
ここを邪馬台国だとした学者はまだ他にも幾人もいる。
吉田東伍は明治二十六年、
その著書『日韓古史断』の中で、
「卑弥呼は熊襲の女酋である」として、
「その都は高千穂西麓にある皇孫・ヒコホホデミのミコト
(彦火火出見の命)の旧都[高千穂の宮]であり、
神武天皇がここから東征したあとは
ソオ(曽於)隼人族の本拠地になり、
卑弥呼を共立して女王とした。
その居城はヒメキ(姫城)。
その古跡はいま隼人城の北、姫城村にある」
と指摘した。
また明治初年に神武紀元を修正した那珂通世(なかみちよ)も、
大正四年に出た遺作集『那珂通世遺書』の中で、
「邪馬台女王は南九州にいたクマソ(熊曽)の女酋である。
ソオ(曽於)郡に住んだ族類は最も強くて熊曽と呼ばれ、
九州北部の国々までその威令を奉じた。
「女王之所都」は
曽於郡清水郷に姫木城という城が在ったと伝えられている。
姫木は「姫の城」で女王の伝説に関係のある地名であろう」
といっている。
木の古音は「コ」だから姫木はヒメコ。
沖縄発音だとヒミグァ。
双方とも卑弥呼という当て字の古い発音とぴったり一致する。
地名が先か、呼び名が先かは別として、
この二つが切り離せないものであることは否定できない。
卑弥呼という称号をもった女王がいたという
多くの証拠が見つかった位置に、
まったく同じ発音の地名が残り、
その地形や環境もまた『魏書倭人章』に
記録された多くの条件に、完全に一致している。
「二つの姫木山?」
鹿児島県隼人と国分にまたがる姫木山。
アダナ
(古代ギリシヤ領小アジア、
(古代ギリシヤ領小アジア、
イスケンデル・アレクサンドリアの首都
=現在はトルコ)にある。
その形も大きさも鹿児島のものとソックリ。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・邪馬臺国の風雲:28頁」
「HIMIKO・保育社(カラーブックス):111・141・142頁」
「言語復原史学会・邪馬臺国の風雲:28頁」
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