2015年9月20日日曜日

姫木山


 ≪姫木山≫

 幕末の歴史学者に

 鶴峯戌申(つるみねしげのぶ)という人がいる。

 彼も卑弥呼の邪馬臺国は姫木だといった。

 その地域は、

 いまは隼人町と国分市に分割され、

 現地に行ってみると想像以上に広大で、

 その中央に姫木山が急峻な絶壁に囲まれて肇えている。

 その姿はモーゼ(モーセ)が十戒を授かったという

 シナイ山によく似ていて、

 いかにも別世界の仙境を思わせる山城跡である。

 ここを邪馬台国だとした学者はまだ他にも幾人もいる。

 吉田東伍は明治二十六年、

 その著書『日韓古史断』の中で、

 「卑弥呼は熊襲の女酋である」として、

 「その都は高千穂西麓にある皇孫・ヒコホホデミのミコト

  (彦火火出見の命)の旧都[高千穂の宮]であり、

  神武天皇がここから東征したあとは

  ソオ(曽於)隼人族の本拠地になり、

  卑弥呼を共立して女王とした。

  その居城はヒメキ(姫城)。

  その古跡はいま隼人城の北、姫城村にある」

 と指摘した。

 また明治初年に神武紀元を修正した那珂通世(なかみちよ)も、

 大正四年に出た遺作集『那珂通世遺書』の中で、

 「邪馬台女王は南九州にいたクマソ(熊曽)の女酋である。

  ソオ(曽於)郡に住んだ族類は最も強くて熊曽と呼ばれ、

  九州北部の国々までその威令を奉じた。

  「女王之所都」は

  曽於郡清水郷に姫木城という城が在ったと伝えられている。

   姫木は「姫の城」で女王の伝説に関係のある地名であろう」

 といっている。

 木の古音は「コ」だから姫木はヒメコ。

 沖縄発音だとヒミグァ。

 双方とも卑弥呼という当て字の古い発音とぴったり一致する。

 地名が先か、呼び名が先かは別として、

 この二つが切り離せないものであることは否定できない。

 卑弥呼という称号をもった女王がいたという

 多くの証拠が見つかった位置に、

 まったく同じ発音の地名が残り、

 その地形や環境もまた『魏書倭人章』に

 記録された多くの条件に、完全に一致している。

 「二つの姫木山?」

 鹿児島県隼人と国分にまたがる姫木山。

 アダナ
 
 (古代ギリシヤ領小アジア、

  イスケンデル・アレクサンドリアの首都

  =現在はトルコ)にある。

  その形も大きさも鹿児島のものとソックリ。

  ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・邪馬臺国の風雲:28頁」
      「HIMIKO・保育社(カラーブックス):111・141・142頁」

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