2015年9月19日土曜日

河内音頭(八尾)


 ≪河内音頭(八尾)≫

 銅鐸人とはどんな人々だったのか?…。

 それは大坂府の東端にある

 「八尾市」の地名が証明する「ヤオ人」。

 今、

 中国から東南アジアに分布する彼等は、

 銅鼓を儀式に使う人たちであり、

 八尾は打楽器の伴奏で賑かに祭りを歌い上げる

 「河内音頭=戯(ざ)れ歌(批判歌謡)」の発祥の地である。

 そして銅鼓と銅鐸は同じ時代の製銅と銅器製作技術の産物で、
  
 その形態は周の時代に始まった

 礼楽用楽器「扁鐘」の発展したものである。

 技術が集団の秘伝文明だった当時の時代を考えると、

 中国のヤオ人と八尾人とは同じ文化集団だつたとわかる。

 銅鐸を代表的文化遺産として残したのは

 中国からの移住者・ヤオ人だと断定できるのである。

 銅鐸と河内音頭を残した歌のうまい人々ヤオ(謡・揺=八尾)人。

 「ヤオ人と銅鼓の儀式」

 鉢巻きをキリリとしめた威勢のいいオッサンらが、

 揃ってドンドコと銅鼓を叩く、

 それは左右の手のバチの太さが違うので、

 鐘と太鼓を合奏しているように聞こえる。

 今にも[河内音頭]が聞こえてきそうな光景。

 しかし場所は中国・広西省である。
  
 「銅鼓を叩くヤオ人」

 鉢巻きをした男たちが戚努よく銅鼓を叩く。

 中国四川省の少数民ヤオ人の祭り風俗だが、

 大阪の八尾市にもよく似た「河内音頭」が残っている。

 近畿は銅鐸文化圏の発展地であり、

 この2種類の青銅楽器をもつ2つのヤオが、

 同族であることは明らかである。

  ※出典:加治木義博
          「日本誕生の秘密・徳間書店:115頁」
      「JINMU・KKロングセラーズ:77頁」
     「言語復原史学会・大学講義録6:25頁」
     「言語復原史学会・大学院講義録29:14頁」

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