『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
『広島・明星院』
『madiのブログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
『広島・明星院』
『madiのブログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
≪婦人服のルーツ≫
埴輪でわかる婦人服の特徴は、
前身(み)ごろが広く、肩の前と胴で止めている。
これは中国奥地からタイ国産地に住むリス族や、
中国東北部の満州族、
シベリアのギリヤーク族の衣服と、
右前である点を除けば共通点が多い。
埴輪の女性たちは頭に何かをのせている。
従来はこれを後世の島田髷のようなものとしてきたが、
リス族もギリヤーク族も帽子をかぶっているのをみると、
帽子でなかったとはいえないと思う。
埴輪の中にはは袈裟襷をかけているのもある。
この習俗は現代でもタイ国女性の公式の風俗である。
タイ国には古来、山地民族が混住し、
リス族のわらじが
日本のものとそっくりであるように
同じ水稲文化を分けあっている。
日本語と関連のあるタイ語も多く、
小唄などにもよく似たものがある。
タイの人々とは山地民族だけでなく、
古代の交流が充分考えられるのである。
弥生時代には埴輪のようなものは残っていないが、
『倭人章』が3世紀当時の弥生人のスタイルについて、
詳しく記録しており、
それには
「婦人は中国の単被(タンピ)のようで中央に穴を開けたものを、
「婦人は中国の単被(タンピ)のようで中央に穴を開けたものを、
頭を貫いて衣ている」と書いてある。
当時の中国の単被は下着で、
布を二つ折りにして頭を出す部分を切り、
両脇をひもで結ぶ簡単服で、
チャイナ・ドレスの原型である。
これに似て「頭を貫いて衣る」服を
現代もなお守り続けている人々が、
ビルマとタイ国にまたがって住むカレン人である。
その服は頭と両手が出る部分を残してとじ合わせただけの、
ごく簡単なものである。
※出典:加治木義博
「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):7・8・22頁」
「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):7・8・22頁」
0 件のコメント:
コメントを投稿