2015年9月12日土曜日

手焙り土器:金属加工用の風炉


 ≪手焙り土器:金属加工用の風炉≫
 
 「手焙り土器」は

 日本とフィリピンに分布し、インドに達するが、

 インドでは現在でもまだ生きて使われているからである。

 考古学者がつけた「手焙り」という名は

 形が手焙りという現代の道具に似ているためで、

 正しい用途は全く不明であった。

 ところがインドの同型の土器は、

 それが金属加工用の風炉(ふうろ)であることを、

 生きた多くの実例で教えてくれたのである。

 なぜインドには弥生時代の技術がそのまま生きていたのだろう。

 インドにはまだカーストと呼ばれる

 身分世襲制の、名残があるため、

 父から息子へと同じ職業がうけつがれている。

 需要がある限りその仕事は、

 昔のままの形で永続しているのである。

 インドは生きた古代の宝庫なのだ。

 カレン人は手焙り土器は作らないし、

 それを使う金属細工もしない。

 弥生時代のこの土器は、

 やはりインドのカーストに属した技術者が、

 父祖伝来の秘伝の技術で

 金属加工をした際に使ったもの、

 とみる以外に考えようがない。

 これまで日本でこの土器が出土したのは

 銅鐸分布地域の中だけである。

 銅鐸を作るには鋳造用の道具がいり、

 装身具用に使われている風炉は役に立たない。

 が、どちらも金属加工であり、

 インドには今も原始的なドクラ青銅器の鋳造者などがいる。

 手焙り土器は銅鐸の謎とも無関係ではない。

 「インドの金属技術者」

 手焙り形土器の中の木炭を長い吹管で吹いて高熱し、

 金属を溶かして細工する。

 吹管は日本の火吹き竹と同じ性質の文化で、

 紀元前25世紀のエジプト第5王朝時代の

 壁面彫刻にはすでに似たものが見られる。

  ※出典:加治木義博
     「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):128頁」

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