2015年9月11日金曜日

任那(みまな・にんな)の実在


 ≪任那(みまな・にんな)の実在≫

 新羅独立以前の半島が、

 政治的には列島の一部分であったことが確認できたことは、

 さらに私たちの古代常識を正しく拡大する。

 それは何よりもまず倭の五王の名乗りの真相を、

 在来の曖昧(あいまい)なものから飛躍的に正しいものにしてくれる。

 「七国諸軍事」というのは、

 実際は一国の軍事権を執っているということで当然のことであり、

 従来は、これを誇張だと説明する者がいたが、

 それは真相を知らない者のでたらめな想像にすぎないと、

 はっきり判定することができる。

 また七国中の任那(みまな・にんな)は、

 在来は架空説をとなえる者まであるほど、

 影の薄い存在だったが、

 事実がわかってみると、

 地方自治体の百済・新羅を統括する

 「倭国政府の出先機関」があるのは当然のことで、

 『日本書紀』は少しもウソは書いていない。

 これは「任那日本府」という名も

 新羅の立場からありうることで、

 これを疑う者は自分で無知を告白していることになる。

  ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会:大学講義録33:27頁」

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