2015年8月26日水曜日

アトレウス古墳


 ≪アトレウス古墳≫



 ギリシャ・ミケーネにある

 欧州青銅期時代後期の紀元前1300年ごろのもの。

 「アトレウスの宝庫」と呼ばれているが、

 今ではクリュテムネストラの墓であることがわかっている。

 高さ13mのドームで床は13.5m。

 日本・朝鮮の古墳墓と共通性が多い。


 従来は畿内型と呼ばれる墳丘古墳が

 南九州につくられるようになったのは、

 5世紀以後だというのが定説だった。

 しかし

 鹿児島県阿久根市の鳥越古墳は石室が細長く

 古式の割竹式木棺が副葬品なしで出土したことから、

 4世紀より以前のものであることは間違いない。

 これは卑弥呼政権の邪馬臺が南九州だったことが確定した今、

 当然のことで、

 過去の大和邪馬台国説に基づく古墳学が、

 いま崩壊し始めていることを物語っている。

 またその積み石の様式がアトレウス古墳に近いことも、

 よく注意してみる必要がある。

 大石をザット並べただけの蘇我馬子の墓とされる

 石舞台古墳などの方が新しいのである。

 「北鮮古墳群と高句麗・将軍塚」
  
 高句麗・将軍塚 

 中国吉林省集安(広開土王碑がある昔の通溝)にある。

 階段状になっていて、

 エジプト・サッカラにある

 第3王朝ジュセル王の階段状ピラミッドによく似ている。

 同じく集安の鴨緑江近くにある環文塚古墳。

 アトレウス古墳のミニュチアのような形がよくみてとれる。


 亀墓は沖縄にある墓として知られているが、

 同じ形をした墓が、

 タイ北部の人里はなれた場所に点々と見られる。

 中国人華僑たちの墓である。

 沖縄のものも宋の時代に中国から来た

 36姓と呼ばれる支配者がもちこんだもので、

 近世の沖縄は華僑に侵略され占領されていたのである。

 亀墓のルーツはその形態でわかるように

 ギリシャのアトレウス古墳の系統。

 卑弥呼と血縁のある南中国・呉の孫権らが

 ギリシャ系だったことの傍証。

 烏孫=ウースン=呉孫=大隅とつながり、

 ヤタ烏(カラス)=アレタサンドロスともつながる。

  ※出典:加治木義博
     「KOFUN・KKロングセラーズ:49・57・202頁」
     「YAMATO・KKロングセラーズ:128頁」

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