2015年8月5日水曜日

建国記念の日


 ≪建国記念の日≫

 今の建国記念の日、

 戦前の紀元節の根拠とされたのは、

 その即位の年が、

 [神武紀]にある

 「辛酉(しんゆう)の年だった」という記事である。

 これは

 「縁起をかついであとでつけたウソの干支(かんし)だ」

 というのが今の定説だが、

 崇神天皇の三八年もやはり辛酉の年で、

 邪馬臺戦争直前の正始二年もまた辛酉年である。

 『日本書紀』の

 「辛酉記録」の日こそ、

 私たち日本人が、

 「建国記念の日」として、

 尊重しようとしている日なのだから、

 ここでいい加減に見過ごしてしまっては、なにもならない。

 それは一体いつなのだろう?

 それは

 [西暦241年1月1日]=

 「魏の少帝・芳の正始二年・

  辛酉の春・庚申(こうしん)の朔の日(ついたち)である。」

 しかし『記・紀』では

 神武は戦争が終わったあと即位したことになっているし、

 [崇神紀]では戦争は10年にあったことになっていて、

 38年がこの「建国記念日」では、

 間が伸びすぎていて話が合わない。

 この主要ポイント[辛酉]は正確なのだから、

 『記・紀』は修正が必要だということになる。

 修正すると神武天皇の即位は241年。

 戦闘は247年に終わって、

 邪馬臺国政権はヒミコの死で滅び、

 代わって邪馬壹国政権が誕生したのだから、

 [神武紀]が7年後に政権をとったと

 書いている記事の正しさが確認でき、

 真実の建国史が甦(よみがえ)ったことになる。

 ※出典:加治木義博「JINMU:36・37頁」

0 件のコメント:

コメントを投稿