2015年8月11日火曜日

アシャカ王の仏教宣布団

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 アシャカ王の仏教宣布団
 アシャカ王の仏教宣布団

 ≪アシャカ王の仏教宣布団≫

 アシャカ王は仏教を世界に広めて平和な世界を作ろうと考え、

 王族や皇族を団長に任命して、

 四方へ大布教団を派遣した。

 仏教ではその団長を長老と呼ぶが、

 それは次の通りだ。

 方角  目標国名          長老名

 東   スパンナプーミ       ソナカ      ウッタラ

 北   カスミーラとガンドハーラ  マッジャンチカ
 北   ヒマバンタパデサ      ミッジマ

 西北  ヤナカ-ロカ        マハーラッキタ

 東南  バナバシ          リッキタ
 東南  マヒサカマンダラ      マハーデバ

 南   タンパパンニディバ     マヒンダ  ウッチヤ  サムバラ  バッダサーラ

 西   アパランタカ        ヨナカ-ダンアラッキタ
 西   マハー-ラッタ       マハー-ダンマラッキタ

 以上が宣布団の構成だが、

 長老名が複数になっているのは、

 第一次、第二次と、

 宣布団の派遣がくりかえされたことを示している。

 発見された

 仏教遺跡や古代文献、仏教思想の分布などによって、

 それらの人々がどこまで行ったかが

 次第に明かになりつつある。

 その内、

 日本列島まで来た<ソナカ宣布団>のコースと歴史については、

 ほとんどを明かにした加治木義博の研究が、

 世界で最も進んでいるが、

 はるかに西へ進んだ宣布団が

 アショカ王の祖母の祖国ギリシャのマケドニヤから、

 <シリヤ>、<シレーネ>、

 エジプトの首都・<アレクサンドリヤ>などへ

 到着したことは、

 西欧の学者も次第に確認してきて、

 西欧の世界史の教科書にも見られるようになってきた。

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学講義録9:16頁」

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