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アシャカ王の仏教宣布団
アシャカ王の仏教宣布団
≪アシャカ王の仏教宣布団≫
アシャカ王は仏教を世界に広めて平和な世界を作ろうと考え、
王族や皇族を団長に任命して、
四方へ大布教団を派遣した。
仏教ではその団長を長老と呼ぶが、
それは次の通りだ。
方角 目標国名 長老名
東 スパンナプーミ ソナカ ウッタラ
北 カスミーラとガンドハーラ マッジャンチカ
北 ヒマバンタパデサ ミッジマ
西北 ヤナカ-ロカ マハーラッキタ
東南 バナバシ リッキタ
東南 マヒサカマンダラ マハーデバ
南 タンパパンニディバ マヒンダ ウッチヤ サムバラ バッダサーラ
西 アパランタカ ヨナカ-ダンアラッキタ
西 マハー-ラッタ マハー-ダンマラッキタ
以上が宣布団の構成だが、
長老名が複数になっているのは、
第一次、第二次と、
宣布団の派遣がくりかえされたことを示している。
発見された
仏教遺跡や古代文献、仏教思想の分布などによって、
それらの人々がどこまで行ったかが
次第に明かになりつつある。
その内、
日本列島まで来た<ソナカ宣布団>のコースと歴史については、
ほとんどを明かにした加治木義博の研究が、
世界で最も進んでいるが、
はるかに西へ進んだ宣布団が
アショカ王の祖母の祖国ギリシャのマケドニヤから、
<シリヤ>、<シレーネ>、
エジプトの首都・<アレクサンドリヤ>などへ
到着したことは、
西欧の学者も次第に確認してきて、
西欧の世界史の教科書にも見られるようになってきた。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学講義録9:16頁」
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