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≪四川地方のシルクロード『貝の道』≫
≪四川地方のシルクロード『貝の道』≫
四川地方のシルクロード『貝の道』
杉本憲司
<タカラガイ>が中国の<殷>(商)王朝期に、
南海からはるかはなれた黄河流域に運ばれ、
王族・貴族たちに珍重されていたことは
よく知られるところであり、
貨幣のような使われ方もされていたようで、
経済関係の漢字、
たとえば「賣」、
「買」のような貝偏の字が多くあることは周知のことである。
また、<タカラガイ>は他の地域でもみつかっていて、
その出土分布地のあり方を調べることは
道を知る上で大変役立つ。
最近の研究
(熊本大学文学部考古学研究室ら
『中国古代の<タカラガイ>使用と流通、
その意味-商周代を中心に-』2003年)によると、
<タカラガイ>はインド・太平洋の暖水域を中心に
熱帯から温帯海域にひろく生息する<巻貝>のことで、
中国で142種、日本で105種知られている。
黄河中下流域の殷・周時代の遺跡から
発見される<タカラガイ>の大部分は<キイロダカラ>で、
この産地は他の貝との組み合わせから見て
東南部海域(澎湖諸島を含む中国南部沿岸・台湾)で、
ここから琉球列島や中国東海岸沿いに北上して、
東部海域(渤海・黄海・長江以北の東中国海)から
山東をへて中原の<殷>中心地に運ばれたと考えられる。
中原以外の<タカラガイ>の出土地には、
青海省、四川省、雲南省などがあげられる。
これが、西南<シルクロード>にかかわるもので、
私の青海・四川調査の動機の一つであった。
青海では、新石器時代から青銅器時代の墓などから、
何種類かの貝が出土しているが、
その中には東南部海域産の
<オオカニノテムシロ>、
<キイログカラ>、
<ハナビラタカラ>(?)、
<ナツメモドキ>と、
東部海域産(?)の<シジミ>と、
中原淡水域産の<イシガイ類>と、
ベンガル湾産(?)の<シャンクガイ>がふくまれている。
四川では、今回の展覧会でもみられる、
広漢(こうかん)市郊外の<殷代後期>にあてられる
<三星堆遺跡>の一号、二号祭祀坑から
多数の青銅器、金器、玉(石)器、象牙らとともに
数千におよぶ<カイ>が出土している。
この<カイ>のほとんどは<キイロダカラ>で、
他に若干の<ハナビラダカラ>などがふくまれている。
また最近発見の、
成都市内西北部にある
<殷代終末期>から<周代初期>にあてられる
<金沙遺跡>、
今回、金器などが展観されている遺跡からは
玉製の<タカラガイ>が出土している。
さらに南にある雲南でも、
春秋時代末期から前漢時代にかけての
遺跡から<カイ>が出土している。
ここから出土するものはほとんど<ハナビラダカラ>で、
他にわずかの
<キイロダカラ>と<ホシダカラ>と<シャンクガイ>がみられる。
この<ハナビラタカラ>はベンガル湾産と考えられていたが、
最近の研究
(先述の熊本大学の報告にみえる黒住耐二氏の研究・調査)
によれば、
南部海域(海南島、ベトナム中・南部)産と
考えた方がよいようである。
また、この地の宋代火葬墓から出土する<キイロダカラ>は
インド洋のモルジブ諸島産の可能性があるようである。
この、奥地の三省で発見された<カイ>が、
海岸からどのような道を通ってきたのか。
<カイ>の産地からみていくと、
青海では中原の淡水産のイシガイ類が見られるところから、
<カイ>が複数類セットで運ばれてきたものとすれば、
ここの東南部海域産の<キイロダカラ>なども
中原径由で運ばれてきたと見るのが自然である。
また、四川の三星堆遺跡のものは、
青銅器がどの地域と関係を濃くもっているかの絡みで
考えなければならないが、
<タカラガイ類>だけでみれば、
青海と同様に中原径由とみられるようである。
つぎに、雲南はどうであるかをみると、
ここでもっとも多いのは<ハナビラガイ>で、
どうもこれは中原経由ではなく、
南部海域からどこかの陸地の道を経由して
運ばれてきたようである。
しかし、ここで気になるのは<シャンクガイ>で、
これは前述のようにベンガル産で、
このカイがどの道を通って運ばれてきたのかに
大変興味がある。
今、正解があるわけでないが、
いくつかの考え方ができるのではないかと思う。
その一つに私が考えている、
ベンガル湾沿岸から東パキスタンを径由して
雲南西部から雲南中部に至り、
ここから北上して四川をへて青海に入る道を
想定してもよいのではないか。
これは雲南中部で南から北上してくる
ビルマ(ミャンマー)・ルートと合わさっている。
これが、
私の今考えている西南シルクロードに
あてはまるのではないかと思っている。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学院講義録28:29~32頁」
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