2015年7月7日火曜日

四川地方のシルクロード『貝の道』

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 ≪四川地方のシルクロード『貝の道』
 ≪四川地方のシルクロード『貝の道』

 四川地方のシルクロード『貝の道』

 杉本憲司

 <タカラガイ>が中国の<殷>(商)王朝期に、

 南海からはるかはなれた黄河流域に運ばれ、

 王族・貴族たちに珍重されていたことは

 よく知られるところであり、

 貨幣のような使われ方もされていたようで、

 経済関係の漢字、

 たとえば「賣」、

 「買」のような貝偏の字が多くあることは周知のことである。

 また、<タカラガイ>は他の地域でもみつかっていて、

 その出土分布地のあり方を調べることは

 道を知る上で大変役立つ。

 最近の研究

 (熊本大学文学部考古学研究室ら

  『中国古代の<タカラガイ>使用と流通、

  その意味-商周代を中心に-』2003年)によると、

 <タカラガイ>はインド・太平洋の暖水域を中心に

 熱帯から温帯海域にひろく生息する<巻貝>のことで、

 中国で142種、日本で105種知られている。

 黄河中下流域の殷・周時代の遺跡から

 発見される<タカラガイ>の大部分は<キイロダカラ>で、

 この産地は他の貝との組み合わせから見て

 東南部海域(澎湖諸島を含む中国南部沿岸・台湾)で、

 ここから琉球列島や中国東海岸沿いに北上して、

 東部海域(渤海・黄海・長江以北の東中国海)から

 山東をへて中原の<殷>中心地に運ばれたと考えられる。

 中原以外の<タカラガイ>の出土地には、

 青海省、四川省、雲南省などがあげられる。

 これが、西南<シルクロード>にかかわるもので、

 私の青海・四川調査の動機の一つであった。

 青海では、新石器時代から青銅器時代の墓などから、

 何種類かの貝が出土しているが、

 その中には東南部海域産の

 <オオカニノテムシロ>、

 <キイログカラ>、

 <ハナビラタカラ>(?)、

 <ナツメモドキ>と、

 東部海域産(?)の<シジミ>と、

 中原淡水域産の<イシガイ類>と、

 ベンガル湾産(?)の<シャンクガイ>がふくまれている。

 四川では、今回の展覧会でもみられる、

 広漢(こうかん)市郊外の<殷代後期>にあてられる

 <三星堆遺跡>の一号、二号祭祀坑から

 多数の青銅器、金器、玉(石)器、象牙らとともに

 数千におよぶ<カイ>が出土している。

 この<カイ>のほとんどは<キイロダカラ>で、

 他に若干の<ハナビラダカラ>などがふくまれている。

 また最近発見の、

 成都市内西北部にある

 <殷代終末期>から<周代初期>にあてられる

 <金沙遺跡>、

 今回、金器などが展観されている遺跡からは

 玉製の<タカラガイ>が出土している。
 
 さらに南にある雲南でも、

 春秋時代末期から前漢時代にかけての

 遺跡から<カイ>が出土している。

 ここから出土するものはほとんど<ハナビラダカラ>で、

 他にわずかの

 <キイロダカラ>と<ホシダカラ>と<シャンクガイ>がみられる。

 この<ハナビラタカラ>はベンガル湾産と考えられていたが、

 最近の研究

 (先述の熊本大学の報告にみえる黒住耐二氏の研究・調査)

 によれば、

 南部海域(海南島、ベトナム中・南部)産と

 考えた方がよいようである。

 また、この地の宋代火葬墓から出土する<キイロダカラ>は

 インド洋のモルジブ諸島産の可能性があるようである。

 この、奥地の三省で発見された<カイ>が、

 海岸からどのような道を通ってきたのか。

 <カイ>の産地からみていくと、

 青海では中原の淡水産のイシガイ類が見られるところから、

 <カイ>が複数類セットで運ばれてきたものとすれば、

 ここの東南部海域産の<キイロダカラ>なども

 中原径由で運ばれてきたと見るのが自然である。

 また、四川の三星堆遺跡のものは、

 青銅器がどの地域と関係を濃くもっているかの絡みで

 考えなければならないが、

 <タカラガイ類>だけでみれば、

 青海と同様に中原径由とみられるようである。

 つぎに、雲南はどうであるかをみると、

 ここでもっとも多いのは<ハナビラガイ>で、

 どうもこれは中原経由ではなく、

 南部海域からどこかの陸地の道を経由して

 運ばれてきたようである。

 しかし、ここで気になるのは<シャンクガイ>で、

 これは前述のようにベンガル産で、

 このカイがどの道を通って運ばれてきたのかに

 大変興味がある。

 今、正解があるわけでないが、

 いくつかの考え方ができるのではないかと思う。

 その一つに私が考えている、

 ベンガル湾沿岸から東パキスタンを径由して

 雲南西部から雲南中部に至り、

 ここから北上して四川をへて青海に入る道を

 想定してもよいのではないか。

 これは雲南中部で南から北上してくる

 ビルマ(ミャンマー)・ルートと合わさっている。

 これが、

 私の今考えている西南シルクロードに

 あてはまるのではないかと思っている。

 ※出典:加治木義博

 「言語復原史学会・大学院講義録28:29~32頁」

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