2015年7月5日日曜日

カレン=高麗人=宝貝人

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 ≪カレン=高麗人=宝貝人
 ≪カレン=高麗人=宝貝人

 カレン史を要約すると

 「その祖先はバビロン人で、

  バビロンの滅亡後、大移動を始め、

  インドを経由して海岸や島伝いに

  日本列島から朝鮮半島、

  中国東北部(旧満州)などを経て、

  中国南部に入り雲南省を抜けて

  今のビルマ・カレン州に入った」という。

 もちろん経由した土地には多く土着者を残してきた。

 この話を私たちがこれまでに知った事実と照合すると

 非常によく一致するのである。

 カレンの語り部の語った歴史は概略だが、

 それでも莫大な内容で、

 詳しい検村は大掛かりな別著に譲るほかないが、

 それが本当かどうか?まだ疑わしいと思う方のために、

 もう一つ、謎解きをしてみよう。

 『カレン史』では

 沖縄から日本列島、朝鮮半島を経て拡大し移動した。

 という。

 だとすれば何かもっと大きく、

 はっきりした遺物を残していなければならないが、

 そんなものが見つかるであろうか?。

 民族が残す最も大きな遺物。

 それはその民族の名前である。

 だが「カレン」という名は

 日本では最近まで耳なれない名だった。

 そんな名が果して遺物として残っているであろうか…?。

 しかしタイ・ビルマ(ミャンマー)の現地へ行ってみると、

 その名は正確には「カリエン」と発音されているのに気がつく。

 この「i」の一音の差が謎を解いてくれたのである。

 今、朝鮮半島の人々を英語で「コーレアン」と呼ぶことは、

 よくこ存じのことである。

 これをローマ字で書くと「KOREAN」。

 これは訛りの強い英語では

 「カリエン」と発音するスペルである。

 では「コーレアン」とは何なのであろうか?。

 それが「高麗人」という名の英語読みであることも、

 よくご存じだと思う。

 この文字は

 「コーレー」とか「カウリー」と発音されてきたが、

 本来は一体なにを意味する名であろう?。

 それと全く同じ発音をもった

 「コーレー」「カウリー」という

 印欧語の(インド・ヨーロッパ語)の名をもった

 海の生物がある。

 宝貝である。

 印欧語の「宝貝」という名の発音に漢字を当てると、

 「高麗」という字は非常にぴったりした、

 いい当て字である。

 そして「高麗」は

 日本読みすると「タカラ」とも

 読めることに注目しなければならない。

 宝貝が古代の唯一の「宝」であった時代、

 それは「高麗」と漢字で当て字されていた。

 その漢字を「タカラ」と読み換えたものが

 日本語になったのである。

 こう見てくると

 鹿児島の南の海にある

 「宝島」が何を意味するかもよく分るし、

 その島を中心とする島々が

 「吐喝喇(トカラ)列島」と呼ばれていることも、

 また少しも不思議ではない。

 沖縄方言では「卜」という発音はなかった。

 そこで「吐(卜)という文字が使われているのは、

 当て字をした人が方言の違いを気にし過ぎて、

 発音を「翻訳」してしまったことを示している。

 もちろんそんな時代に

 「高麗」という当て字をしたのは中国人である。

 「コーレー」という宝物を沖縄から運んでくる人々は、

 いうまでもなく中国では「高麗人」と呼ばれた。

 その当て字の時代はいつころだったであろう?。

 『魏書』の東夷伝には、

 この高麗とよく似た国名の「高句麗」伝があるが、

 それによると

 紀元9年に「漢」を乗っ取って

 「新」に変えた王莽(オウモウ)が、

 東胡を討つために高句麗人を動員したことが出ている。

 この国は紀元前からあったことは間違いない。

 この国と高麗がどういう関係にあるか考えてみよう。

 読者はテレビなどで

 べトナム語の会話を聞かれたことはないであろうか?。

 聞かれた方はお気づきだとおもうが、

 その発音は「nga・ngi・ngu」といつたクセのある、

 鼻濁音が非常に多くて

 日本語の標準語に慣れた私たちには聞きづらい。

 高句麗は高麗を、

 そのベトナム訛りで発音したものに一番近い。

 「コウレー」を「コグレー」と発音するのであって、

 そうした方言があったことを示す「姓」は

 日本にも沢山残っている。

 「小暮」「小栗」はそのものズバリだし、

 「高良・小浦(コウラ)」と「小倉(コグラ・オグラ)」、

 「田内(タウチ)」と「田口(タグチ)」などもそれである。

 また小倉を「コグラ」と無理にべトナム語化しなくても、

 高句麗はそのままでも「コクラ」と読める。

 吐喝喇列島(トカラ)列島と高句麗との、

 ちょうど中間に「コクラ」と読む小倉市があって、

 その移動の跡を残しているのである。

 しかしこれまでの答は

 朝鮮半島とカレン人とのつながりは証明したけれど、

 日本との関係はまだ小倉以外はっきりしない。

 カレンは本当に倭人だったのであろうか?。

 日本では「倭」の字と同じ意味に「和」の字を使ってきた。
 
 「倭人=和人」である。

 この和の字を「ワ」と発音するのは日本読みで、

 漢音では「カ・クァ」と発音する。

 ハーモニーを「和声(カセイ)というし、

 「和氏の璧」を「カシのタマ」と読むのはそのためである。

 また中国語では「人」は「リェン」に近い発音である。

 「カ」という民族は「カリェン」と発音される。

 今「カリエン」と呼ばれる人々は、

 昔中国で

 「和(カ)と呼ばれた時代の名残りをとどめているのであって、

 やはり「和人=倭人」のことだったのである。

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・邪馬壹国大移動:84~85頁」

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