ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2015年7月22日水曜日
神殿文明と神道文明
≪神殿文明と神道文明≫
俳優はワザオギと訓み、
オギは「招(お)ぎ」で、
神や死者の霊を招くのが本来の仕事である。
静御前などの歩き巫女が舞うのもそれだった。
それが出雲お国の「お国歌舞伎」になり、
今の歌舞伎に発達したのである。
それは今も鹿児島に伝統として残り、
映画スターや、アイドル歌手などを大量に輩出し、
歌舞伎役者もまた西方人の容貌を遺伝したり、
化粧によって作ったりしているのである。
これだけでも
スサとスメルの「神殿文明」と
我が国の「神道文明」が直接、
繋がっていることが確認できる。
氏神、八百万の神、神官兼為政者と数え上げると、
遺物はまだまだ揃う。
その鹿児島神宮と同じ所に上井という地名が残り、
倭と同じウワイと読む。
そこが倭人の都の跡であることも解っている。
そして本来はイドに当て字した
「委奴」国の金印は九州の北端、志賀の島にあった。
ウバイドの名は百済・出水(ポセイヅン)などの神名と同じく、
上井と委奴(ウバイド)に分割されていたのである。
ここでも
ポセイ・イヅンと、ウワイ・イドが共に、
「イ」が双方に分割されて併用されている。
こうした原則が、
世界最古の国名でも厳密に守られている事実から、
遥か後世に来航したことの明らかなギリシャ神名の分割は
ウバイドに始まるスメル文明のシステムを
踏襲したものだったことまで解るのである。
※出典:加治木義博「大学院講義録37:30頁」
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