2015年7月22日水曜日

神殿文明と神道文明


 ≪神殿文明と神道文明≫

 俳優はワザオギと訓み、

 オギは「招(お)ぎ」で、

 神や死者の霊を招くのが本来の仕事である。

 静御前などの歩き巫女が舞うのもそれだった。

 それが出雲お国の「お国歌舞伎」になり、

 今の歌舞伎に発達したのである。

 それは今も鹿児島に伝統として残り、

 映画スターや、アイドル歌手などを大量に輩出し、

 歌舞伎役者もまた西方人の容貌を遺伝したり、

 化粧によって作ったりしているのである。

 これだけでも

 スサとスメルの「神殿文明」と

 我が国の「神道文明」が直接、

 繋がっていることが確認できる。
 
 氏神、八百万の神、神官兼為政者と数え上げると、

 遺物はまだまだ揃う。

 その鹿児島神宮と同じ所に上井という地名が残り、

 倭と同じウワイと読む。

 そこが倭人の都の跡であることも解っている。

 そして本来はイドに当て字した

 「委奴」国の金印は九州の北端、志賀の島にあった。

 ウバイドの名は百済・出水(ポセイヅン)などの神名と同じく、

 上井と委奴(ウバイド)に分割されていたのである。

 ここでも

 ポセイ・イヅンと、ウワイ・イドが共に、

 「イ」が双方に分割されて併用されている。

 こうした原則が、

 世界最古の国名でも厳密に守られている事実から、

 遥か後世に来航したことの明らかなギリシャ神名の分割は

 ウバイドに始まるスメル文明のシステムを

 踏襲したものだったことまで解るのである。

 ※出典:加治木義博「大学院講義録37:30頁」

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