2015年7月18日土曜日

大化大戦(乙巳の変)は高句麗主導連邦への復讐戦


 ≪大化大戦(乙巳の変)は高句麗主導連邦への復讐戦≫

 その動かない証拠が7世紀の大化大戦(乙巳の変)の前に

 「中の大兄の皇子」が

 蘇我入鹿を斬ったとき言った言葉として記録されされている

 「革命の理由」である。

 彼はこう言った。

 「鞍作は天宗を滅ぼし尽くして将に日の位を傾けようとしている。

  絶対に鞍作に天孫の代りをさせてはならない」。

 これは「天孫が王たるべき国なり」という神勅を前提にしている。

 鞍作とは「クラックリ=高麗造=高句麗国造」のことであり、

 言葉を変えると高句麗王になるが、

 中央政府からみれば

 「国造」すなわち「知事」のようなものだったのである。

 そんなものが本当の天孫族の人々を押しのけて

 皇帝の座に座っているだけならまだしも、

  「天孫系を殺し尽くして皇室に代わろうとしているのは許せない」

 というのである。

 本当かどうか?

 孝徳天皇から言語復原してみよう。

 孝霊天皇の孝と同じ「孝」は高句麗系だということである。

 では天孫は誰だろう?…。

 「天」は

 沖縄~大隈語で「チヌ・チン」で

 標準語の「キヌ=黄の」、

 鹿児島語の「キン=金」である。

 天智天皇は「天命・開別」=「チンのみこと・ハラキわけ」で、

 『日本書紀』や『三国史記』の他の当て字では

 「金・春秋=キン・ハルアキ」と書かれている。

 沖縄語の「チン・ハラキ」は

 標準語の「キン・ハルアキ」だから、

 天を名乗る彼も天孫族なのである。

 近畿に始めて入った天皇は「倭王・済」以後で、

 興=蓋鹵王が都にした百舌鳥耳原は

 チヌ地域にあるから、

 そこが天下の中央=五彩圏連邦の

 「黄の国=キン・チヌ」だったことは明瞭だ。

 その応神・仁徳天皇系の皇朝が武烈天皇で絶えて、

 応神天皇の5世孫と称する継体天皇が後を継いだが、

 「邑婁」の王だったことは明らかになっている。

 だが他の系統は2人の皇子・安閑、宣牝、2代の天皇で終り、

 高句麗王であることの確かな

 「欽明天皇=広開土王」系の

 敏達、用明から孝徳天皇まで続いたのである。

 これが鞍作なのだ。

 広開土王と長寿王に苦しめられた報復としての

 大化大戦(乙巳の変)の構造がよく見えたと思う。

  ※出典:加治木義博「大学講義録5:22頁」 

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