ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2015年7月18日土曜日
大化大戦(乙巳の変)は高句麗主導連邦への復讐戦
≪大化大戦(乙巳の変)は高句麗主導連邦への復讐戦≫
その動かない証拠が7世紀の大化大戦(乙巳の変)の前に
「中の大兄の皇子」が
蘇我入鹿を斬ったとき言った言葉として記録されされている
「革命の理由」である。
彼はこう言った。
「鞍作は天宗を滅ぼし尽くして将に日の位を傾けようとしている。
絶対に鞍作に天孫の代りをさせてはならない」。
これは「天孫が王たるべき国なり」という神勅を前提にしている。
鞍作とは「クラックリ=高麗造=高句麗国造」のことであり、
言葉を変えると高句麗王になるが、
中央政府からみれば
「国造」すなわち「知事」のようなものだったのである。
そんなものが本当の天孫族の人々を押しのけて
皇帝の座に座っているだけならまだしも、
「天孫系を殺し尽くして皇室に代わろうとしているのは許せない」
というのである。
本当かどうか?
孝徳天皇から言語復原してみよう。
孝霊天皇の孝と同じ「孝」は高句麗系だということである。
では天孫は誰だろう?…。
「天」は
沖縄~大隈語で「チヌ・チン」で
標準語の「キヌ=黄の」、
鹿児島語の「キン=金」である。
天智天皇は「天命・開別」=「チンのみこと・ハラキわけ」で、
『日本書紀』や『三国史記』の他の当て字では
「金・春秋=キン・ハルアキ」と書かれている。
沖縄語の「チン・ハラキ」は
標準語の「キン・ハルアキ」だから、
天を名乗る彼も天孫族なのである。
近畿に始めて入った天皇は「倭王・済」以後で、
興=蓋鹵王が都にした百舌鳥耳原は
チヌ地域にあるから、
そこが天下の中央=五彩圏連邦の
「黄の国=キン・チヌ」だったことは明瞭だ。
その応神・仁徳天皇系の皇朝が武烈天皇で絶えて、
応神天皇の5世孫と称する継体天皇が後を継いだが、
「邑婁」の王だったことは明らかになっている。
だが他の系統は2人の皇子・安閑、宣牝、2代の天皇で終り、
高句麗王であることの確かな
「欽明天皇=広開土王」系の
敏達、用明から孝徳天皇まで続いたのである。
これが鞍作なのだ。
広開土王と長寿王に苦しめられた報復としての
大化大戦(乙巳の変)の構造がよく見えたと思う。
※出典:加治木義博「大学講義録5:22頁」
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