ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月23日月曜日
マレー語に関する章(68)『日本誕生』は卑弥呼から
《『日本誕生』は卑弥呼から》
「『日本誕生』は卑弥呼から」
「巴利国」
パーリ(インド)
-ハリー(アフガニスタン北西部)
-パリー(インド北東部)
-パーリス州(戦前のマレー半島の州)
-バリ島(インドネシア)
-バリワグ(フィリピン)
-バリンタン(フィリピン北部)
-パラパグ(フィリピン・サマール島)
-巴利国(倭国)
では巴利国はその後どうなったか。
それがハリマと呼ばれて、
今の兵庫県の西半分になったが、
それ以前にもっと大切な役割を果たしている。
マレー語でハリは日々のこと、
太陽はその目(マタ)だとみて「マタハリ」というから、
卑弥呼とは、「ピー・ミヤル・グァ」の発音どおり沖縄語で「日見やる子→日宮后」で、
古語では日の神(ヒヌカン)=ビルカナ仏=蛭子の仏=大日如来。
これが天照大神の真意だったのである。
巴利国はハリマ=ハリミャ=日宮。
卑弥呼=日宮后とは巴利国女王という名乗りなのだ。
卑弥呼は巴利国か播磨以外の国の女王では絶対にない。
邪馬臺やヤマトどころか邪馬壹にも居るはずがない。
今の隼人町と国分市にまたがる姫木山はどうなるか。
沖縄語の「目」はミだから、
沖縄語人が「日目子」と当て字していたものを、
鹿児島人が後世にヒメコと発音して姫木(ヒメコ)を当て字に選んだのだ。
この日の神の国が、
日の国の都=日の本とよばれたのはごく自然で、
唐代までの小国・日本は、こうして誕生したのである。
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