2012年4月21日土曜日

マレー語に関する章(66)巴と巴利とバーリとPとポセイドン



 《巴と巴利とバーリとPとポセイドン
 「巴と巴利とバーリとPとポセイドン

 隼人町が巴利国だった多くの証拠のうち最大のものは、

 全国に3万以上ある八幡社の発祥地で、

 総本家の大隅八幡宮が現存することである。

 八幡の象徴は「三つ巴紋」で、巴は世界中で水神の象徴として使われているが、

 三つ巴(みつどもえ)は大海の激しい渦流を表現しており、

 中世に中国沿岸から東南アジアを荒らした

 海賊・八幡船(バハンセン)の守護神・八幡大菩薩の旗印も、

 八幡が海神だった証拠で、

 マレー語で「凶悪・無残」を

 「 jahat =ヤハト=八幡(ヤハタ)」

 「 akahia アカイヤ」などというのも

 その恥ずかしい遺物である。

 隼人族は「海幸」だから、

 中国語で海は「ハイ」、海人と書いても「ハイト」と読める。

 しかし中国の海神は「陽侯(ヨウコウ)」だから中国系ではない。

 北京語は日本から中国東北区へ移住した

 古代南九州人の言語が基礎になっているから、

 巴利人から隼人、海人と進行した当て字が「海=ハイ」という発音を生んだ。

 また巴と巴利が同じ巴の字で表現され、

 パーリの頭文字Pが巴の類型なのも偶然ではない。

 古代日本の海神はポセイドンだった。

 その神名が「百済」という国名を生んだ理由は、

 沖縄ではボセイドンはフジイヅンとしか発音できないが、

 このフジが鹿児島ではホゼと変わる。

 これに対する当て字か百済(ホゼ)で、

 残りのイヅンが郡や市の名に残る「出水(イヅン)」なのである。

 言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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