ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月21日土曜日
マレー語に関する章(66)巴と巴利とバーリとPとポセイドン
《巴と巴利とバーリとPとポセイドン》
「巴と巴利とバーリとPとポセイドン」
隼人町が巴利国だった多くの証拠のうち最大のものは、
全国に3万以上ある八幡社の発祥地で、
総本家の大隅八幡宮が現存することである。
八幡の象徴は「三つ巴紋」で、巴は世界中で水神の象徴として使われているが、
三つ巴(みつどもえ)は大海の激しい渦流を表現しており、
中世に中国沿岸から東南アジアを荒らした
海賊・八幡船(バハンセン)の守護神・八幡大菩薩の旗印も、
八幡が海神だった証拠で、
マレー語で「凶悪・無残」を
「 jahat =ヤハト=八幡(ヤハタ)」
「 akahia アカイヤ」などというのも
その恥ずかしい遺物である。
隼人族は「海幸」だから、
中国語で海は「ハイ」、海人と書いても「ハイト」と読める。
しかし中国の海神は「陽侯(ヨウコウ)」だから中国系ではない。
北京語は日本から中国東北区へ移住した
古代南九州人の言語が基礎になっているから、
巴利人から隼人、海人と進行した当て字が「海=ハイ」という発音を生んだ。
また巴と巴利が同じ巴の字で表現され、
パーリの頭文字Pが巴の類型なのも偶然ではない。
古代日本の海神はポセイドンだった。
その神名が「百済」という国名を生んだ理由は、
沖縄ではボセイドンはフジイヅンとしか発音できないが、
このフジが鹿児島ではホゼと変わる。
これに対する当て字か百済(ホゼ)で、
残りのイヅンが郡や市の名に残る「出水(イヅン)」なのである。
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