ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月15日日曜日
マレー語に関する章(60)2種類あった五彩圏とその判別
《2種類あった五彩圏とその判別》
「2種類あった五彩圏とその判別」
しかしこれで、五彩圏思考が仏教と無関係だったと考えるのは早計である。
それはマガダ国を中心に、五彩圏が実在していたことが明らかだからである。
今のミャンマーは古来、ビルマと呼ばれてきたが、このビルはインド~アーリヤ語では、
青色のことで、英語のブルーからマレー語のブラウまで完全に方言関係にある。
青はいうまでもなく青竜の色で東を指し、ビルマはマガダ国の東にある。
同じインド~アーリヤ語では黒はカラで、
北にはカザフ共和国の大都市カラガンダはじめ、
インドと蒙古の双方にカラコルム、
その中間の中国西域にカラマイという地名が並んでいる。
これと対象の位置にある南は、
アショカ仏教史でも有名なスリランカで、
ここから移動した人々が
1世紀にインドネシアに植民した中心がシュリビジャヤ。
そこからさらに東に移ったという地名をもつのが、
沖縄の首都シュリ=首里である。
そして日本では赤色をシュ=朱というから、
それらはみな南=朱雀としてつけられた地名だったのである。
これで納得がいくように、
アショカ仏教圏は五彩圏を伴っていた。
ただ注意が必要なのは、
それは「アオ・クロ・アカ・シロ」と
いうギリシャ語ではなかった点である。
それは日本列島では位宮の五彩圏以後のものである。
こうした細部を見落とさないように…。
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