2012年4月15日日曜日

マレー語に関する章(60)2種類あった五彩圏とその判別



 《2種類あった五彩圏とその判別
 「2種類あった五彩圏とその判別

 しかしこれで、五彩圏思考が仏教と無関係だったと考えるのは早計である。

 それはマガダ国を中心に、五彩圏が実在していたことが明らかだからである。

 今のミャンマーは古来、ビルマと呼ばれてきたが、このビルはインド~アーリヤ語では、

 青色のことで、英語のブルーからマレー語のブラウまで完全に方言関係にある。

 青はいうまでもなく青竜の色で東を指し、ビルマはマガダ国の東にある。

 同じインド~アーリヤ語では黒はカラで、

 北にはカザフ共和国の大都市カラガンダはじめ、

 インドと蒙古の双方にカラコルム、

 その中間の中国西域にカラマイという地名が並んでいる。

 これと対象の位置にある南は、

 アショカ仏教史でも有名なスリランカで、

 ここから移動した人々が

 1世紀にインドネシアに植民した中心がシュリビジャヤ。

 そこからさらに東に移ったという地名をもつのが、

 沖縄の首都シュリ=首里である。

 そして日本では赤色をシュ=朱というから、

 それらはみな南=朱雀としてつけられた地名だったのである。

 これで納得がいくように、

 アショカ仏教圏は五彩圏を伴っていた。

 ただ注意が必要なのは、

 それは「アオ・クロ・アカ・シロ」と

 いうギリシャ語ではなかった点である。

 それは日本列島では位宮の五彩圏以後のものである。

 こうした細部を見落とさないように…。

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