ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月3日火曜日
マレー語に関する章(48)「倭=鬼道」は東南アジア経由で来た
《「倭=鬼道」は東南アジア経由で来た》
「「倭=鬼道」は東南アジア経由で来た」
卑弥呼が君臨していた当時の倭人連邦の「祭政一致」とは、
決して低級なシャーマニズムではなかった。
シャーマニズムでは「ウワイ」という発音をもつ人種名「倭人」も、
高級な祭政一致を意味する「鬼道」という固有名詞もつけられるはずがない。
なぜなら当時すでに人類最高の文化をもっていた
中国人の中央政権・「魏」が派遺してきた
大使=帯方郡使が、
神と鬼の区別もつかない愚か者でなかったことは、
彼らが残した記事でわかる。
それは一字一字に現代の文章もおよばないような
凄い表現力をもった報告書だからである。
マレー語の方言の一つである
スマトラ語では「母」のことを「ウアイ」と発音し、
「目上」に対する敬称を「ウア」という。
この「ウアイ」が倭人の場合と同じく
インド語の「女性仏教徒=ウパイ」の訛りであることは、
それが「敬愛する目上の女性」である「母」を指すことでわかる。
また「ウア」のほうは、
この「ウパイ」と、
男性仏教徒を指す「ウパサカ」の共通部分
「ウパの訛った発音ウア」を略称にしたものだとすぐわかる。
インドと日本列島との中間地域に「ウワイ」だけでなく、
「マチ」という言葉が広く分布していること、
それが日本では「祭・政」の意味に転用されていること、
そのもとが卑弥呼にあることなどで、
「倭=鬼道」が
東南アジア経由で来た事実が十分立証されている。
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