2012年3月4日日曜日

マレー語に関する章(12)牛と角と雷への崇敬



 《牛と角と雷への崇敬
 「牛と角と雷への崇敬


 写真:シバ大神の神像(今村甫氏蔵)

 シバ神の像はヒンヅー教の各派によって解釈が異なり、

 また仏教にも大自在天としてとり入れられており、その像も多くの種類がある。

 しかしそのいずれもが頭骸骨を連ねたネックレスをかけていることが共通している。

 これは御頭祭が示すものと同一の考えに基くもので、

 その威力を象致しているのである。

 写真の像はその妻<カリー>を伴ったもので北インド神像の形式を備えている。

 シバの表記は

 サンスクリットとインドシナでは

 ジャワでは

 マレー語圏ではまたは

 ボルネオではと変わる。

 この<ニワ>はこを<ミ>と発音する沖縄へ入ると<ミワ>と発音される。

 三輪の大神は<シバ神を意味する

 またインドでは<シバ>は<ジャッカル>をも意味する。

 これは日本では<狼>にあてられたことが、

 <オオカミ>という和名で証明されるのである。

 また中国地方にあるイザナミ伝説地が比婆山(ヒバヤマ)と呼ばれ、

 また志波彦神社(宮城県の元国幣中社)

 そのほか<シバ>神を祭るものはかなりの数にのぼる。

 沖縄では<庭><ニワ>を<ミヤ>。

 <新><ニイ>を<ミイ>(<新婿><ニイムコ>→<ミイムーク>など)。


 <睨みくらべ>を<ミイクウミー>などと、<ニ>を<ミ>と発音する。

 またこれまで語意も語源も不明とされてきた「ミシャグチ神」とは何か。

 これもパーリ語で読んでみると一変に謎はとける。

 <シバ神>の故郷インドには今は死語になったパーリ語という言語があった。

 それによると<シバ>とは<幸福>、<吉祥>を意味する。

 これにはまた<平安>、<安泰>の意味も含まれている。

 <シアワセ>という日本語と、この<シワ>も似ているが、

 次のように熟語になる。

 「シバ・ガミ・マッガ」。

 これを直訳すると<安全の法>、<平安への道>ということになる。

 これに対して「安全を護る」「守護する」はパーリ語で<グッチ>。

 <供>、<従者>は<ミッサ>という。

 「ミッサグッチ」とは<守護する供人>ということであり、

 <ミシャグチ>神とは本来<シバ神>を<守護する供神>のことだったのである。

 とすると、

 諏訪の神使が各村にいる<ミシャグチ>神を召集して

 神事を始める理由も初めて理解できるのである。

 またインドでは牛が神聖視されている。

 これは牡牛が<シバ>神の顕現であると信じられてきたためで、

 牛や角が聖なるものの象徴とされるのである。

 このことが理解できないと

 インドからマレー語圏、

 さらに我が津々浦々に祭られる神社から伊勢神宮に至るまでの

 「千木」の神聖さが不明になるのである。

 そのヌガンディの名をもつ牛の像は実は我が国にも古くから祭られていた。

 それは現在でもなお各地で見られる。

 ほかでもない天神様の牛である。

 世俗には菅原道実が太宰府へ流された際、

 彼を運んだ牛車の牛であるとされている。

 しかしこれは余りにも不合理な説明である。

 供をしたのは牛だけではないし、

 流人が船でなく牛車に乗って福岡まで行ったというのもおかしい。

 よく考えてみると、天神様の牛には全く必然性が無いことがわかるのである。

 これは理由ははっきりしている。

 天神様というのは菅公よりはるかに前から祭られていた神で、

 当時すでに祭神の不明になっていた社に、

 道実を合祀しただけのことなのである。

 もうおわかりのように

 <天(チヌ)神>とは<角(ツノ)神>であり、<牛>が本体あったのである。

 そして同じ京都の大氏神(うじがみ)は葵(アオイ)祭で名高い賀茂社であるが、

 その祭神中の氏の祖は、<加茂建角身命>であり、その孫神は<賀茂別雷命>である。

 <角>と<雷>がセットになっていて、天神様の先祖を証明しているのである。

 コラム:伊勢はシバ大神の名

 <シバ>神はインドでは、

 Is、Isa、Isana、(イス、イサ、イサナ)という通名で呼ばれている。

 <イサ>の大神または<イサナ>大神が、

 鹿児島弁や関東弁式に語尾のaをeと発音して

 <イセ>の大神となったことは疑問の余地がない。

 また仏教化して(マハ・スワラ)とも呼ばれている。

 直訳すれば<マハ>は<大>。

 <スワラ>は<日や光または声を発する者>という意味である。

 これに漢字をあてれば諏訪羅(スワ国)。

 命令を発する者「命<ミコト>」である。

 それは同時に<日の国>、<日の神>でもある。

 さらに伊勢国風土記は、

 この2つの地名を結びつける重要な役割を果たしている。

 <国津神>の<伊勢津彦>は神武東征の時、<天日別命>に国譲りを迫られて東に去り、

 割注に「今信濃の国に来り住む。」とある。

 彼は<地名>と<空っぽの神宮>を残して行ったのである。

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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