2012年2月22日水曜日

マレー語に関する章(7)



 《借用語か否かの鑑別

 単語には「借用」ということがある。

 今では私たちは漢字なしでは生活できない程に、

 古い発音の中国語を大量に使っている。

 しかし、それは文字と言葉だけが輸入されたのであって、

 言葉の量に比例する中国人が混血したわけではない。

 日本語の中に大量にマレー語が見つかるからといって、

 すぐ、日本人はマレー語人が大量に混血している、

 とはいえないのではあるまいか?

 この答えは、

 マレー語が、どういう方法で日本語の中に加えられたか、によって左右される。

 中国語の場合は、

 文字と、それによって書かれた書物と少数の人々によって、

 言葉だけが海を渡って来たといっていい。

 マレー語の場合はどうだったか。

 それはまず、

 いわゆる日本の古語と、

 マレー語とを比較してみて、マレー語以外のことばが、

 どれ位い残るかを見ることから始める。

 なぜなら人間生活は言葉なしでは営なむことのできないものだから、

 借用語を輸入しない前も、言葉が無かったとは考えられない。

 日常の社会生活に必要な言葉が、実在していたはずである。

 このことは、借用語である中国語や欧米語を日本語からとり去っても、

 かなりの量の言葉が残り、表現に困るものはあっても、

 古代なみの社会生活を営なむのには事欠かない。

 という事実が、裏づけになる。

 この点残念ながら、8世紀以前のものと考えられる日本語は、

 従来不明のままであった。

 『記・紀』に僅かに原型のままらしい言葉が見られるが、

 これは果して原型のままか、

 いつのものか未検討のものばかりである。

 だから、今のところ3世紀のものといえば、『魏書倭人章』と、
 
 本書で始めて明らかになった崇神垂仁紀のものが大半ということになる。

 以後大きな空白を残して奈良朝とされる万葉時代にとぶ。

 しかし、万葉語と比較しても、ある程度の目的は達せられる。

 マレー日本共通の1万を超える単語は、

 万葉語をほとんど除去するに足る量といえるからである。

 もちろん、それは実際にやってみなければわからない。

 しかし、仮りに、万葉語の大半や、奈良朝語の大半が、

 マレー語と共通であるということになれば、それを引き去った残りの語だけで、

 社会生活が営なめるかどうか、すぐ判定できるはずである。

 生活できるものが残れば、

 マレー語は、補充用に、言葉だけが、文字と書物という形で、

 はいって来た可能性があり、さらに当時どんな文字があったか、

 それはいつどうしてはいって来たか、という新しい研究を必要とすることになる。

 逆に、残りの語が、ごく僅かであれば、

 マレー語は生きた人間が運んできたもので、

 決して単なる輸入語ではない、ということになるからである。

 さきにあげた例を使ってやってみよう。

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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