2012年2月4日土曜日

パーリ語とサンスクリット語(1)



 ※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  
 「パーリ語」

 ウィキペディア百科事典によれば

 「パーリ語 (paali) は多量の文献を持つ南伝仏教経典で主に使用される言語。

  バーリ語とも。中期インドにおけるアーリヤ系言語、プラークリットを代表する言語。

  使用歴は長く、パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀ころまで遡る。

  さらに、パーリ語で書かれた、経典の散文やその注釈は、5-6世紀以後にまで及び、

  その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、

  パーリ語を使用した新しい文献がある。

  パーリ語は上座部仏教経典のための文語であり、

  元来どの地方の方言であったかは不明確である。

  古い伝説ではマガダ語からの派生であると言われるが、

  アショーカ王碑文との比較から西インド起源とする説が有力である。

  最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言から

  パーリ語へ翻訳されたと推定されている。

  このために、パーリ語はアショーカ王碑文のうち

  西部のギルナールの言語に最も近いが、

  その中にマガダ語的な要素が指摘されている。」

 と書かれている。

 ※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「サンスクリット語」
 
 ウィキペディア百科事典によれば

  サンスクリット (梵: संस्कृत; saṃskṛta, Sanskrit) は

  古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。

  現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つである。

  宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、
  
  ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。

  日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。

  また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。

  なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。

 と書かれている。

 ◎パーリ語

 仏教を世界に広めたアソカ王(古代インド・マガダ国王)の王子マヒンダが

 紀元前243年スリランカに派遣されて、

 スリランカ王デーバナンビヤティツサを信者にし国民に広めた

 上座部仏教の経典に使われていた用語を、

 聖典という意味でパーリと呼んだ言語のことです。

 アソカ王たちはインド~アーリヤ系のシンハラ人で、その言語はシンハリ語だったから、

 パーリ語は釋迦が話した言葉を記録したもので、

 Sakya サキャ(塞・スキュタイ)語がインド語化した言語です。

 今のシンハリ(スリランカ)語でもタミル語でもない。

 パーリというのは国や地域や民族の名前ではなく、「聖典」という意味です。

 もっとも、「パーリ」の本来の意味は「聖典」ではなく、

 「外耳、線、列」などの意味であり、

 後に仏教聖典のことをそういうようになったということのようです。

 ともあれこの言語は、スリランカ、ビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスなどに伝わった

 南伝仏教の聖典に用いられている言語です。

 インドの言語というとサンスクリット(梵語)が有名ですが、

 サンスクリットがその「完成された、洗練された」という名のとおり、

 人工的に磨きのかけられた文語であるのに対して、

 より俗語、日常語に近い言語のことをプラークリットと呼びます。

 プラークリットの中にも数々の言語がありますが、

 原始仏教の膨大な聖典に用いられたパーリ語こそが、

 文献の多さでは他のプラークリット諸語を圧倒しています。

 従来は釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説法した言葉こそ

 このパーリ語であると考えられていたこともありますが、

 実際には西方インドで話されていた言語のようです。

 とはいえ、釈尊のいたマガダ国の言語の特徴もいろいろ含んでいるなど、

 さまざまな要素が混入した言語です

 (そのせいか、語形変化表が非常にごちゃごちゃしています)。

 サンスクリットに比べて俗語に近いとはいえ、

 やはり古典語、現在では死んだ言葉ですが、

 南伝仏教諸国では非常に重要視されており、僧侶を中心に学ぶ人も多く、

 これらの諸国の僧侶がお互いに意思の疎通をするのに使われたりもします。

 豊富な造語力を利用して近現代の語彙も作られており

 (飛行機=a-ka-saya-na、汽車=ayoya-naなど)、その意味ではまるきり死語ともいえない。

 『参考ブログ』

 「パーリ語学習書・辞書」
 「パーリ語入門」

 ◎日本語の中に千語以上のパーリ語がある

 標準語のウオ(魚)という発音は鹿児島生まれだと説明したが、

 その鹿児島には<魚>を<イオ>と発音する人々がいる。

 また沖縄では<イユ>と発音する。

 これまでは、

 これは単に<ウォ>という本州語発音が訛った方言だと思われていたが、

 事実はそんなに単純ではなかったのである。

 沖縄県の最も西の端は<与那国島>である。

 この島の「ヨナ」という変わった名前は、

 卑弥呼政権の祭政一致の国家宗教、

 当時の帯方郡使が「鬼道」と呼んだ仏教の用語パーリ語で

 ギリシャを意味する名詞「ヨナ」だったことがわかっている。

 この<ヨナ>は、古代ギリシャの一地方だった「イオニヤ」の訛ったもので、

 <イオニヤ>の語源は「イオン」すなわち「行く・遠征する」という言葉だから、

 「イオニヤ」とは「遠征によって取った地方」または「遠征隊の国」を意味していた。

 だから<与那国>という名も、

 この「遠征隊の国」というギリシャ語が「イオニヤ」と発音されていたものを、

 沖縄へ<仏教>を広めにやってきた<アシャカ仏教宣布団>の宣教師たちが、

 パーリ語訛りで<ヨナ国>と呼んだので、

 <与那国>という当て字が現在まで残ったのだとわかっている。

 こうした事実はすでに私(加治木義博)の著書に詳しく解説済みなので、

 もっと許しく知りたい方はそれらをお読み戴きたい。

 この<ヨナ>は、沖縄語では「ユナ」と発音される。

 これは東南アジアでも同じ地域が多いから、

 マレー語圏やミャンマーではギリシャ人を「ユナン」とか「ユナニー」と呼んでいる。

 これに中国人が当て字したものが

 「雲南=ユンナン」という省の名として残っているので、

 <与那国>の名は何も特別なものではないことがわかるのである。

 それ以上に重要なのは、

 <与那国>の本来の国名が、「イオン=行く」だったことである。

 この<イク>という発音と、

 この島の王の名の発音が一致すれば、それは「名乗り」だとわかる。

 それが実在している。

 卑弥呼政権を倒した<狗奴国男王>は、<山上王・位宮>という名乗りを持っているが、

 この<位宮>は「イク」とも読めるので、

 「イク」という発音につけた当て字とみても不合理ではない。

 彼は、卑弥呼の跡をついで女王になった<壹與>を<与那原>で即位させている。

 彼が<与那国王>だったのなら、それはごく当然のことだったとわかる。

 「与那原=イオニヤの都」だからだ。

 これで当時の沖縄地方には

 沖縄語のほかにギリシャ語と日本語、パーリ語などがあったことがわかる。

 この内パーリ語は今の日本語と比較しても、共通語が軽く1300語以上もあるから、

 日本語の中核になった言語だとわかる。

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