ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月16日月曜日
塞族(サカゾク)(3)
《塞族(サカゾク)》
《ウッタラ仏教国だった証拠が充満する出雲》
サカは釋迦族=塞族を意味し、
張政の国名・塞曹掾史もまた塞族係官を意味していた。
今それに新たに蘇我が加わったのである。
すると西端に出雲大社のある島根半島の東端にある境港(さかいみなと)が
重要なサカイであることが決定的になる。
そこから中の海に入れば目の前に「大根(だいこん)島」がある。
それが大=ウッ・根=タラシ=「ウッタラ之(シ)」島だとわかると、
この県がなぜ「島根」という名を持っているのかもわかるし、
そこでいま市制が敷かれている大田(おおだ)市もまた
大=ウッ・田=タ・国=ラ=「ウッタラ」の名残だということもわかる。
この大田(おおだ)はそのまま「田=ダ=国(ラ)」だから「大国」、
その主は「大国主」の尊だということになる。
出雲の大国主は、
卑弥呼の伝承が伝わった八俣大蛇退治と関連したもののほかに、
5世紀や7世紀の大国(オオくに)主や、
紀元前の大国主(ウッタラ)だった可能性があるとはっきり見えてきた。
こうみてくると出雲には『記・紀』の「出雲神話」や、
『風土記』ていどのものではなく、
それだけでは解けない歴史が隠れていたとわかる。
それが今、ウッタラと銅鐸に関わる弥生文明に始まることまで解明できた。
少なくとも「なぜ出雲に銅鐸が…?」ではなく、
「出雲だから銅鐸があるのは当然だ」というところまでわかった。
我が国の『建国史』解明は、これでまた一大飛躍を遂げ、
出雲と『出雲神話』は全く新しい研究対象になったのである。
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