2012年1月16日月曜日

塞族(サカゾク)(3)



 《塞族(サカゾク)

 《ウッタラ仏教国だった証拠が充満する出雲

 サカは釋迦族=塞族を意味し、

 張政の国名・塞曹掾史もまた塞族係官を意味していた。

 今それに新たに蘇我が加わったのである。

 すると西端に出雲大社のある島根半島の東端にある境港(さかいみなと)が

 重要なサカイであることが決定的になる。

 そこから中の海に入れば目の前に「大根(だいこん)島」がある。

 それが大=ウッ・根=タラシ=「ウッタラ之(シ)」島だとわかると、

 この県がなぜ「島根」という名を持っているのかもわかるし、

 そこでいま市制が敷かれている大田(おおだ)市もまた

 大=ウッ・田=タ・国=ラ=「ウッタラ」の名残だということもわかる。

 この大田(おおだ)はそのまま「田=ダ=国(ラ)」だから「大国」、

 その主は「大国主」の尊だということになる。

 出雲の大国主は、

 卑弥呼の伝承が伝わった八俣大蛇退治と関連したもののほかに、

 5世紀や7世紀の大国(オオくに)主や、

 紀元前の大国主(ウッタラ)だった可能性があるとはっきり見えてきた。

 こうみてくると出雲には『記・紀』の「出雲神話」や、

 『風土記』ていどのものではなく、

 それだけでは解けない歴史が隠れていたとわかる。

 それが今、ウッタラと銅鐸に関わる弥生文明に始まることまで解明できた。

 少なくとも「なぜ出雲に銅鐸が…?」ではなく、

 「出雲だから銅鐸があるのは当然だ」というところまでわかった。

 我が国の『建国史』解明は、これでまた一大飛躍を遂げ、

 出雲と『出雲神話』は全く新しい研究対象になったのである。

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