ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月15日日曜日
塞族(サカゾク)(2)
《塞族(サカゾク)》
《金波鎮漢紀(こんはちんき)・武の謎解き》
「金波鎮漢紀(こんはちんかんき)・武」という「名乗り」の意味が、
初めて非常に鮮明に読みとれる。
この名乗りの一部分が第11のキーである。
まず「波鎮漢」は新羅の官位の名である。
『三国史記』[新羅本紀]には第3代の王・儒理(ジュリ)尼師今が、
初めて新羅政府の官吏制度をきめた中の、四等官に「波珍飡」という称号がある。
これは『日本書紀』に「波珍干(かん)([神功皇后紀]=微叱己知・波珍干・岐)」というふうに、
少し文字が違うだけで、同じ発音の官名として登場する。
この新羅の官名は、漢字で書かれていることでわかるように、
中国の官吏制度を参考にして作られたものだから、
当時の中国の官名とくらべてみると意味がよくわかる。
『魏書倭人章』の「塞曹掾史(さくそうえんし)・張政」の
「塞」は「砦(とりで)」のことではなくて、「塞族」のことである。
ギリシャ人がスキュタイと呼んだ人々は、当時までの中国の周辺勢力として、
歴代中国政権の悩みのタネだった。
「曹(そう)」はそれを担当しているという意味。
「掾史(えんし)」は下役のこと。
張政は帯方郡外務部のサカ族課長ぐらいのところである。
当時の倭国がサカ族を含んでいたから彼が派遣されてきたので、
サカ族は「釋迦(シャカ)族」だから、
彼が仏教徒の倭(ウワイ)人を担当していたのは当然のことだった。
誰がみてもこの言葉の発音は疑いの余地もなく「ハチンカン」でなければならない。
しかし「飡」という字は特殊な文字で、漢音では「食」と同じ「ショク」としか読めない。
「食」はいうまでもなく、ものを食べることである。
新羅が最初、邪馬壹国として誕生したのは鹿児島県だったことは、
このシリーズで詳しく立証ずみで、
もう疑問の余地はないが、その鹿児島の言葉では、
その「食べる」を「カン」と発音するのである。
これは「噛む」の鹿児島訛りだが、「食」の字では違った意味に取られて不都合なので、
二水(にすい)のついた「飡」の字を選んだとみると謎はなくなる。
新羅が鹿児島で生まれた邪馬壹国だったことに疑問のある方は、
『ヒミコ』以下の本シリーズをお読みになっていただけば、
よくおわかりいただけると思う。
この官名によって、彼が「高麗」担当の新羅の四等官として、
それを名乗ったことがわかる。
では後に残った「岐」と「武」は、何のことなのだろう?
これは一字ずつ別に読むのであろうか?
二字で一つの名なのだろうか?
それとも二字で姓と名なのだろうか?
また「武」というのは単なる名なのだろうか?
それとももっとちがった意味があるのだろうか?
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