ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月12日木曜日
「光華明彩」(12)
出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一
「光華明彩」
《『記・紀』の三皇子生みの徹底的な相違点》
『古事記』の嶋名は淡道で、
『日本書紀』が淡路島と明記しているのに対し、
どこの島を指しているのか不明である。
これも重視しなければいけない。
『日本書紀』はそれに続けて、大日本豊秋津洲を生み、
次に伊橡二名洲、筑紫洲、
次に隠岐洲と佐渡洲を雙生児として生む、
というふうに可なり『古事記』と違っている。
が、さらに違っているのは、
この後に、引き続いて海を生み、山川草木を生んだあと、
「天下の主を生まなくては…」と話し合った上で、
日の神・大日霊の貴(おおひるめのむち)を生んだが、
その子は「光華明彩・六合のうちに照徹」した。
次に月の神を生み、
次いで蛭児(ヒルコ)を生んだが足が立たないので船に乗せて捨て、
その次に素戔鳴(スサノオ)の尊を生んだと書いている。
『古事記』はこの3貴子は、
イザナミが死んだあと、
イザナギが禊(みそぎ)をした際に目鼻を洗ったとき生まれたとする。
イザナミが生んだ子供ではないと、はっきり断わっているのである。
特にその名に注意がいる。
『古事記』の3貴子は、
天照大御神・月読命・建速須佐之男命である。
『日本書紀』のそれと見比べてみていただきたい。
これは『古事記』と『日本書紀』の3貴子が、
別人であるという動かぬ証拠なのである。
最高の崇拝対象だった天照大神でさえ、
天照大御神と大日霊の貴という2人の「別人」なのである。
『古事記』 :淡道・淡道之穂之狭別嶋・伊豫之二名嶋・筑紫嶋・伊岐嶋
『日本書紀』:淡路島・大日本豊秋津洲・伊橡二名洲・筑紫洲・隠岐洲・佐渡洲
『古事記』 :3貴子(天照大御神・月読命・建速須佐之男命)
『日本書紀』:3貴子(大日霊の貴・月の神・素戔鳴の尊)
《光華明彩》
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