ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月11日水曜日
「光華明彩」(11)
出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一
「光華明彩」
《驚喜した光華明彩は今も『金髪』珍重》
私(加治木義博)がいうのは今の世界がグローバル化に進んでいるから、
私たちの祖先がギリシャ人だと主張しようというだけはない。
それはこんなに明らかな証拠群を揃えているから、
私たち自身が正確な史実を知らなければ、
余りにも情けないし、先祖たちにも申し訳ない。
それを妨害ばかりしている連中に憤(いきどお)りを感じているのは私たちだけではない。
その先祖たち自身が最も激しく怒(いか)っているのだ。と訴えているのである。
だが本題に戻ろう。
こうして卑弥呼らが、明確にギリシャ人だとわかると、
その誕生の際に、父母が驚喜したほどの
「光華明彩」が『金髪』のことだと確実にわかるのである。
それはこれまで、すでに詳しくその理由をお話したからもう繰り返さないが、
多くの文献が、ギリシャでは古来、金髪を珍重した。
それは今でも変わらない。
という事実を教えている。
つぎはパーリ語とは無関係か、調べてみる必要がある。
卑弥呼が君臨する前には、間違いなくギリシャ人の君臨する倭人圏が実在していた。
卑弥呼自身もその巫女として働いていた。
しかし女王に推戴された後は、間違いなく仏教化してパーリ文化が花咲いていたからだ。
《光華明彩》
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