ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月10日火曜日
「光華明彩」(10)
出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一
「光華明彩」
《ギリシャ人はどこから来たか?》
ここで私たちは、
もう一つ重要な「証拠」を手に入れていることを見落としてはならない。
それは魏の発音なら「イエッ」である「壹」を、
当時の倭人たちはその魏音通りに発音せず「イチ」と発音して、
壹国を「イチマ=伊支馬」と発音している事実である。
この「イチ」は、中国北方の漢魏音に対立していた南方音の呉音(ゴおん)なのである。
これは魏の強敵、呉の国の言葉だから、
張政が呉音を知っていたら気を悪くするぐらいでは済まない。
だが幸いに、彼はそれに気づかず単なる官名として、固有名詞扱いされてすんだ。
その報告を読んだ魏政府の役人もまた気づかずに、
そのまま現代まで変更されることなく残った。
そのお陰で私たちは、
位宮や壹與たちが呉を経由して沖縄地方に移住してきた
ギリシャ系ウースン人の子孫だったことに確信がもてたのである。
それは大隅から奥州に至る我が国の多くの古い地名や姓が、
そのウースンを意味している事実を知っているだけでなく、
幼い天照大神の『光華明彩』が、照り徹(とお)したと
「記・紀」が書く「六合」までもが、
呉の時代の名残を今に残す県名として実在する事実を知っている。
六合は現在でも我が国に地名・姓として現存しているが、
その発音は多く「くに」である。
「くに」は母国・故郷のこと。
忘れ難い故郷は呉の六合だと今も歌い続けているのである。
《光華明彩》
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