2012年1月8日日曜日

「光華明彩」(8)



 出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

 「光華明彩

 《卑弥呼が生まれたときの名前

 これで卑弥呼の遠近の故郷はつきとめられたから、

 次は彼女自身の個人名を探してみよう。

 彼女の名をよくみると「卑弥呼」の当て字を生んだ

 パーリ語の「ペマカ=愛」の前にあった

 アムビ→アイー→愛には、幾っもの好都合な偶然があるから、

 幼名が、同じ聖(きよ)い愛の意味をもつギリシャ語だった可能性が考えられる。

 「アガぺー αγαπη Agape 愛」。

 これは沖縄語の発音では「アガフイ」か「アガプ→アガム」になる。

 この発音は次ページのリストのように、

 大隈語、薩摩語、標準語(本土語)と転訛(てんか)するにつれて生まれた発音が、

 全て日本語、仏教用語など、卑弥呼に関連のある意味をもち、

 それ以上にそれらは、ギリシャの聖地・オリンピアや、

 我が国の建国史に直結する首都名や大きい地名として、今もなお生きている。

 これは彼女が、間違いなくギリシャ語でアガぺーと呼ばれていた、強い証拠である。

 ではこれもギリシャ系の血を引くソナカが呼んだ別名だったのだろうか?。

 これはソナカに限定する必要はない。

 卑弥呼はギリシャ人の子として生まれ、

 「光華明彩・六合照徹=遠くからでも輝いて見える金髪」をもっていて、
 
 ギリシャ語を話す人々の中で育ったからである。

 彼女はもともと「愛(アイ)ちゃん」だったので、

 この地域に流入していた中国人が「愛」と呼び、

 種子島でも「アムビ」が抵抗なく「アイー」になった、

 とみれば疑念が全て氷解する。

 《光華明彩
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