2012年1月29日日曜日

スキタイ・スキュタイ(12)



 スキタイ
 スキタイ

 《インダスヘ入ったアーリャ人こそ塞=釋迦族=倭人

 中国人が、その「倭」に人をつけて「倭人」と表記したのは、

 遅くとも周の時代だったと解るのは、

 『論衡』にある「倭人、鬯草を貢す」という記事によるが、

 周の前の王朝が殷で、それは稲敷から中国へ渡ったウバイド人が建てた国だったことは、

 既によく御存知だから、もう『論衡』を疑う必要はない。

 この鬯草は東南アジアに多産する薬用キノコの一種・霊芝(レイシ)だから、

 倭人の移動コースもわかるし、当時、すでに薬草知識が発達していたことも解る。

 だがそれ以上に、古代ウバイドからインダスへ移住した人々がパーリ語人であり、

 シャカ族すなわちスキタイ人(塞)だったから、

 魏は塞曹掾史の張政を我が国に派遣したのだと、

 当時の人種区別と認識の深さも併せてわかる。

 『魏書倭人章』の解読は、ここまで解らなければ十分だとは言えない。

 これでウバイド人がインダスヘ入ったことは動かなくなったが、

 それはスキタイ人で、在来、単にアーリヤ人という漠然とした

 呼称でしか呼ばれていなかった人たちだったから、

 この発見は世界史上、最も重要なものの1つになった。

 またこの発見が不動の確実牲をもつことも

 仏教の説く最大の特質『慈悲』が、

 平和と愛を鉄則とした

 女性国家・ウバイドの国是からしか生れない思想によるものだったと判る。

 卑弥呼はウバイド女王なのである。

 『Myブログ』
 ウワイト(倭人)大学講義録
 古代史ブログ講座     
 歴史徒然                
 ウワイト(倭人)ウバイド  
  ネット歴史塾       
 古代史の画像       
  ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言  
 オリエント歴史回廊(遷都)
 終日歴史徒然雑記     
 古代史キーワード検索 
 ひねもす徒然なるままに  

0 件のコメント:

コメントを投稿